太櫓村(読み)ふとろむら

日本歴史地名大系 「太櫓村」の解説

太櫓村
ふとろむら

[現在地名]瀬棚せたな郡北檜山町字太櫓・字小川こがわ・字共和きようわ・字さかえ・字富里とみさと・字二俣ふたまた・字若松わかまつ

明治二年(一八六九)から同三九年まで存続した後志国太櫓郡の村。同郡の北部に位置し、南は古櫓多ごろた村、北は瀬棚郡瀬棚村、西は日本海に面する。太櫓川流域にあたり、村はフトロ場所の中心地のフトロ、アナマなどを包含して成立。天保郷帳に西蝦夷地フトロ場所に属する地名として「アナマ」がみえる。「蝦夷日誌」(二編)は「ラルイシ」(良瑠石)から「フトロ」(太櫓)に至る間に「ナベ」「アナベ」の地名をあげ、「ナベ」は「少しの湾。越年小屋有なり」と記す。


太櫓村
ふとろむら

明治三九年(一九〇六)から昭和三〇年(一九五五)まで存続した太櫓郡の自治体名。明治三九年太櫓村・鵜泊うどまり村・古櫓多ごろた村・良瑠石らるいし村が合併、二級町村制を施行して成立。大正元年(一九一二)の戸数六八九・人口四千二九七(北檜山町史)。昭和七年の戸数五八八・人口三千五四五(男一千八四六・女一千六九九)。農業の主産物は米・大豆・麦・馬鈴薯ほかに牛・馬・豚・鶏などを飼育。漁業の主産物は鰯、カレイヒラメ、鮑、柔魚、昆布ワカメフノリ、スルメ、イカナゴなど。漁船一八五(うち三艘は発動機船)。ほかに用材・薪・炭や竹製品、マンガン鉱などを産した(太櫓村勢要覧)。大正三年八雲やくも(現八雲町)との間に道路が整備され、翌年から一日一往復の定期馬車が運行された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の太櫓村の言及

【北檜山[町]】より

…渡島(おしま)半島北部にあり,日本海に面する。1955年東瀬棚町と太櫓村が合体,改称。人口6650(1995)。…

※「太櫓村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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