奈留村(読み)なるむら

日本歴史地名大系 「奈留村」の解説

奈留村
なるむら

[現在地名]奈留町浦郷うらごう泊郷とまりごう大串郷おおくしごう船廻郷ふなまわりごう

現奈留町域の全体、すなわち奈留島と周辺のくず島・矢神やがみ島・まえ島・末津すえづ島などの島々からなる。奈留島は北部の西に大串・しわノ浦、中ほどに夏井なつい青木あおき浦・みずノ浦、東手にかき浦・船廻、東に矢神、南部にあい浦・うらすずノ浦・浜泊はまどまりノ浦などの海に臨む集落が多い。奈留はナ(浦)・ル(泊)の意であろうといわれ、平安期には那留浦・鳴浦、鎌倉期以降は奈留・奈留浦と記される。近世には奈留島はほかの五島ひがし(現中通島か)西にし(現若松町か)久賀ひさか(現平戸市)福江ふくえ島などの諸島とともに奈留島・ナルなどとみえ(安永七年日本輿地路程全図・天明三年重鐫日本輿地全図・天保八年国郡全図並大名武鑑)、文化一〇年(一八一三)四月、伊能忠敬一行の測量では島の惣一周一七里一四町二一間とされる(伊能忠敬測量日記)

江戸時代は福江藩領で奈留島掛に属し、その主邑であった。当初は奈留島村と称していたとされるが(天保郷帳)、枝郷などに相当する諸村を含む総称でもあった。中心となる集落は浦郷で、東西に小半島が延び、これが形成する入江の沖に前島・末津島がある。郷内の殿口とのぐちに住していた奈留雅宣は寛永一一年(一六三四)福江直りに伴い福江に移住、これ以後は代官による支配となり、久賀島かば(現福江市)をも管轄下とした。浦郷の権現ごんげん山の麓に代官屋敷が置かれた。慶長国絵図に奈留とみえ、高一三四石余。正保元年(一六四四)の福江領郷村高帳に奈留島村とある。万治二年(一六五九)惣高積之帳に奈留島とあり、正保国絵図の高一五六石余、今高一七八石余。万治年間とされる五島一円惣高帳では奈留村とみえ、高一七八石余、うち蔵入地一五四石余・給地八石余・寺社領一六石余。寛文四年(一六六四)の福江領高辻帳では奈留島全体として高一七六石余で、うち奈留村六三石余・船廻村四一石余・大串村一八石余・相之浦あいのうら村三二石余、庵三郎あんさぶろう(現福江市)二〇石余とみえる。この庵三郎村が奈留島のうちというのは誤認で、一方で奈留島に属するはずの夏井なつい村を若松わかまつ(現若松町)のうちとするのも同様の誤りであろう。


奈留村
なるむら

[現在地名]串間市奈留

南方みなみかた村の飛地(現串間地区)の北に位置し、志布志しぶし街道が通る。年月日未詳の櫛間院西方坪付(都城島津家文書)に「一町二反 なるの門」とみえ、この頃は西方に属していたようである。江戸時代は南方郷所属。日向国覚書によると高六六〇石余。元禄国絵図、正徳元年(一七一一)の高鍋藩領郷村高辻帳(石井家文書)でも同高。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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