大学事典 「女子学生」の解説
女子学生
じょしがくせい
women students
[女子学生の誕生]
欧米の大学制度に倣ってつくられた日本の大学は,欧米と同様に女性の入学を認めていなかった。1913年(大正2)に東北帝国大学が文部省の横やりに屈することなく,黒田チカ,牧田らく,丹下ウメの3人の入学を許可したのが日本における女子学生の誕生とされ,東北大学は2013年(平成25)に入学100周年記念のシンポジウムを開催している。私立大学では1916年に,自伝『拓きゆく道』を残した栗山津彌が東洋大学に入学したのを初めとして,徐々に女性も大学の門をくぐるようになっていった。また,ほぼ同時期,のちに女子大学となる女子高等師範学校,女子医学専門学校をはじめ女性のための高等教育が次々に整備されていった。
しかしながら,女子学生というカテゴリーはいかにも日本的である。フランス語のように男性名詞と女性名詞の区別のある言語の場合,末尾に「e」をつけることで女子学生であることを示すが,これは文法的なものである。女性名詞と男性名詞の区別のない日本語において,わざわざ接頭語として女子もしくは女性をつける場合,その名詞が主として男性の界に属するものであることを暗示していると同時に,女子とつけるか女性とつけるかによってもそのニュアンスは異なる。女性運転手という表現はあっても女子運転手という表現をみることはまずないし,女性弁護士もしくは女弁護士ということはあっても女子弁護士もきわめて稀である。女子アナウンサーや女子マネージャーが内包しているのは既存のジェンダー・イメージへの従順である。
[演じられる女子学生]
ジェンダー・イメージの表象で最もインパクトが強いのは,身体的なプレゼンスである。大学生であると同時に,あるいは大学生であるより前に「女子」でなければならない日本の女子学生は,女子学生ファッションなるものをつくり上げてきた。これはファッションの都,パリでもみられない現象であり,パリの女子学生の多くは女子である前に学生であり,ファッションリーダーの役割を担うことはない。リーマンショック以降,日本の女子学生の高級ブランド志向は影を潜めつつあるものの,女子学生が愛読しているとされるファッション誌には「愛されコーデ」や「モテ系」といった露骨な他者志向に誘導する見出しが並ぶ。ファッションによって自分の個性を主張するのではなく,愛されたい私を演じる女子力の高さに同調する日本の学生こそ女子学生なのである。
男性に伍して学びの場を求めた大正期の女子学生からみると隔世の感があるが,そもそも現代日本社会において急速に大衆化した女子学生に明確な進学動機を求める方が酷であるかもしれない。また,既存のジェンダー・イメージに逆らうことなく主体的であることを放棄して愛される私を演じる女子学生は,男女共同参画社会の実現が叫ばれながらも女性の力が活用されることの稀な現代日本社会で,大きな苦悩に直面することをすり抜ける。女子学生が女子学生を演じる「戦略」は,技法を習熟しているものの言語化されえない準理論的思考である「知恵ある無知docta ignorantia」によるものにほかならず,働き方の多様性を求めて派遣労働者を「選択」する男性支配のシステムにおける「可愛い女」予備軍なのである。
[分裂したハビトゥス]
黎明期の女子学生のように自ら学ぶことを欲し,理性を働かせることを望めば望むほど,女子学生は多くの苦悩を抱えることになる。「女らしい」感情的な言葉遣いは,自然科学であれ社会科学であれ,科学的な分析に馴染まない。家庭内や友達の間で交わしながら身につけてきた女らしい話し振りで科学的な論文を書くことはできない。女子学生であれ女性研究者であれ,男性支配のシステムによって構築されてきた大学という界の中で作業をすすめてゆくことは,それまでに日常生活の中で身につけてきた女らしい「ハビトゥス」(社会的に獲得された性向dispositionの総体であり,構造化する構造として身体に埋め込まれた歴史)に,男性的な批判的な精神を身体化した「ハビトゥス」を接ぎ木することである。人をむやみに疑うものではないという日常的慣習行動のなかで形づくられ無意識層に沈殿している女性的な美徳に,認識の枠組みとして哲学的・科学的懐疑を嵌め込むことは,ときに大きな自己矛盾を引き起こす。あるいは,男女共同参画社会を是として女性の社会進出の必要性を科学的に分析し語ることは,専業主婦として慈しみ育ててくれた母親の生き方を否定することになりかねない。それは学生であれ研究者であれ,自らの研究が深い苦悩の源泉となることを意味している。
しかしながら,「分裂したハビトゥスhabitus clivé」に相対することは悲劇ではあっても不幸ではない。むしろ,あしたの幸せのための糧である。わたしたちに隠蔽されている世の中の仕組みを発見することは,常に痛みを伴うものである。男性が構築してきた科学的認識の世界の矛盾点は,男性にとってはあまりに自然であるがゆえに見過ごされがちであるのに対し,マージナルな存在である女性の目には明らかな誤謬として映る可能性が高い。痛みを恐れぬ女子学生の探究心こそが,わたしたちの未来を開く鍵となる可能性を秘めているとしても過言ではないだろう。
著者: 紀葉子
参考文献: ピエール・ブルデュ著,今村仁司・港道隆ほか訳『実践感覚 1・2』みすず書房,2001.
参考文献: ピエール・ブルデュー著,加藤晴久訳『自己分析』藤原書店,2011.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報