日本歴史地名大系 「如意寺跡」の解説 如意寺跡によいじあと 京都市:左京区鹿ヶ谷村如意寺跡[現在地名]左京区鹿ヶ谷如意ヶ嶽を中心にその東西一帯の地にあった寺。如意輪寺ともいい、俗にいう叡山三千坊の一。「山州名跡志」は如意ヶ嶽の山腹の楼門の滝付近をその跡と伝える。園城(おんじよう)寺(三井寺、現滋賀県大津市)別院で円珍の開基と伝えるが、創建時期は不詳。「続本朝往生伝」は「慶保胤者賀茂忠行之第二子也、(中略)長徳三年終於東山如意輪寺」と記し、平安時代中期の公家で「池亭記」の筆者慶滋保胤が住んだと伝える。 如意寺跡によいじあと 山口県:宇部市如意寺村如意寺跡[現在地名]宇部市大字如意寺厚東(ことう)川の上流で大田(おおだ)川が合流する南西の山中、如意寺の集落にあった禅宗寺院。地名はこの寺にちなむ。吉祥山と号し、本尊は観音。「注進案」は、創建年代不明だが厚東氏の祈願所として建立されたと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by