孫奇逢(読み)そんきほう

精選版 日本国語大辞典 「孫奇逢」の意味・読み・例文・類語

そん‐きほう【孫奇逢】

中国、明末・清初の儒学者。字(あざな)は啓泰(けいたい)心学を批判し、修養実践の学を強調して、華北学界中心をなした。著「四書近指」など。(一五八四‐一六七五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「孫奇逢」の意味・わかりやすい解説

孫奇逢
そんきほう
(1584―1675)

中国、明(みん)末清(しん)初の学者。字(あざな)は啓泰(けいたい)、号は鍾元(しょうげん)。夏峯(かほう)先生とよばれた。河北省容城(ようじょう)県の人。北方の学者の多くはその門より出ずるといわれ、民間で講学し、数度の朝廷の招きにも応じなかった。また東林派が宦官(かんがん)の弾圧を受けたとき、その救出に奔走、清軍侵入に際しては、郷土の青年とともに抵抗した。学風は朱子学と陽明学の折衷的傾向をもつ。『読易大旨』『書経近旨』『四書近旨』『理学宗伝』などの著述がある。『理学宗伝』は、周敦頤(しゅうとんい)、程顥(ていこう)、程頤(ていい)、張載、邵雍(しょうよう)、朱熹(しゅき)(朱子)、陸九淵(りくきゅうえん)、薛瑄(せっせん)、王守仁(しゅじん)(陽明)、羅洪先(1504―1564)、顧憲成の11名の宋明(そうみん)学者を中心にした理学者の伝記・学説集録で、これによっても彼の学問傾向がわかる。この書は黄宗羲(こうそうぎ)の『明儒(みんじゅ)学案』『宋元学案』の先駆的業績とされている。

[佐野公治 2016年2月17日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孫奇逢」の意味・わかりやすい解説

孫奇逢
そんきほう
Sun Qi-feng; Sun Ch`i-fêng

[生]万暦12(1584)
[没]康煕14(1675)
中国,明末清初の学者。容城 (河北省徐水県) の人。字は啓泰。号は鍾元,夏峰先生と呼ばれた。万暦 28 (1600) 年挙人となったが,父母の死にあって一生涯官途につかず,郷里で講学著述に専念陸象山王陽明の流れをくみ,修養実践を重んじた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の孫奇逢の言及

【李顒】より

…陝西省厔(ちゆうちつ)(今の周至)県の人。若いとき,貧苦のなかで学問にはげみ,経史子集から仏老に至るまで読書し,のち江南各地の書院で教えてその名を広く知られ,孫奇逢,黄宗羲とともに三大儒と称せられた。朝廷から博学鴻詞(はくがくこうし)として招かれたが絶食して拒んだ。…

※「孫奇逢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android