中国、北宋(ほくそう)の思想家。字(あざな)は堯夫(ぎょうふ)、諡(おくりな)は康節(こうせつ)。祖先は河北省范陽(はんよう)の人、父古(こ)(986―1064)の代に河南省共城に移った。共城近郊の蘇門山(そもんざん)百源に庵(いおり)して学問に励み(よってその学派を百源学派とよぶ)、李之才(りしさい)(980―1045)から「図書先天象数の学」を授けられ、これを継承しながら「先天易(えき)」と称する易学を樹立した。生涯官途につくことはなく、30歳後半洛陽(らくよう)に移り、伊水の上(ほとり)、安楽窩(あんらくか)と称する庵に住し、安楽先生と号して悠々自適の生活を送った。北宋政界の元老司馬光(しばこう)・富弼(ふひつ)らと親交があり、程顥(ていこう)・程頤(ていい)や張載(ちょうさい)はその学侶(がくりょ)であった。その思想的営為の根幹にあるものは「観物」で、人間存在のありさまとその意味を体系的に把握し、世界を経綸(けいりん)する「道」を明らかにすることを目ざした。かかる思索は道学の形成にかかわり、のちに北宋の五子の一人に数えられた。主著『皇極経世書(こうきょくけいせいしょ)』は「数」の哲学を駆使しながら、宇宙の生成展開を通観して編年に治乱興亡の事を記す歴史年表をつくり、詩集『伊川撃壌集(いせんげきじょうしゅう)』は思想詩をその特徴とする。
[大島 晃 2016年2月17日]
『三浦国雄著「皇極経世書」(『中国文明選12 史学論集』所収・1973・朝日新聞社)』▽『今井宇三郎・大島晃・福田俊昭著「邵康節」(『朱子学大系 第2巻 朱子の先駆 上』所収・1978・明徳出版社)』
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…この仕事は自己の哲学によって《易》を解釈したもので,そこには程頤晩年の深い思索の跡が刻まれており,正弼注とならぶ義理易の双璧である。この時代にはまた一方で,象数易の再生を企てた邵雍(しようよう)(康節)が現れたことも看過できない。南宋の朱熹(子)は《周易本義》を著し,《易》は卜筮(ぼくぜい)の書にほかならぬと主張した。…
…中国,北宋の思想家邵雍(しようよう)(康節)が作成した図表。彼は《易経》が今の形にまとめられる以前に,伏羲(ふくぎ)が作った原初的な易があったはずだと考え,それを〈先天易〉と呼んでのちの〈後天易〉と区別し,それをいくつかの図によって復元しようとした。…
…しかし,海区における釣りには,まだこうした徹底した規制,保護対策はほとんどみられない。
【釣道具】
釣道具の種類については北宋の学者邵雍の《漁樵問対》から〈釣りに六物あり,一,具わらざれば魚得べからず〉がよく引用されるが,その六物とは釣りざお,釣糸,釣針,うき(浮き),おもり,餌を指している。
[釣りざお]
西洋では材木でつくった長くて太いものが使われていたが,18世紀には熱帯アメリカ産の弾力のある木を用いた張合せのものや竹製のものがつくられ,格段の進歩を示した。…
… このように12960000は,それ自体聖数である象徴性の高い数字から成るばかりでなく,小宇宙(ミクロコスモス)たる人間と大宇宙(マクロコスモス)の生成・発展・回帰にかかわり,それを統御する数と考えられ,特別の関心が払われてきたのであった。その意味で,インドにおける第2番目のユガであるトレーター・ユガが1296000年,中国北宋の学者邵雍(しようよう)が《皇極経世書》で述べる一元が129600年と,桁こそ違えプラトン数と不思議な暗合を示すことは興味深い事実であり,古代バビロニアにさかのぼる聖数観の東西への伝播も推測される。 なおプラトンの名が冠せられるものに〈プラトン立体Platonic solid(body)〉として知られる図形がある。…
※「邵雍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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