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薛瑄 せっせんXue Xuan; Hsüeh Hsüan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

薛瑄
せっせん
Xue Xuan; Hsüeh Hsüan

[生]洪武22 (1389)
[没]天順8 (1464)
中国,の学者。河津(山西省稷山県)の人。字は徳温。号は敬軒。永楽19(1421)年の進士幼時から神童の名が高く,若いとき程朱の書を読んで深く傾倒し,その学説(→朱子学)を守って修養に努めた。任官後,ときの権臣宦官の王振に逆らって免官となり,のち復職して礼部右侍郎兼翰林学士に昇進,入閣したが,権臣の専横によって正しい政治が行なわれえないことを悟って退職し,のち多くの門人を教育した。『読書録』『薛文清集』などの著書がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

せっせん【薛瑄 Xuē Xuān】

1389‐1464
中国,明代初期の思想家。字は徳温,号は敬軒。河津(山西省稷山)の人。呉与弼(ごよひつ)と共に明初の朱子学を代表する。靖難の変後の思想弾圧のため人材が払底したなかで自力で朱子学を修め,その学殖は主著《読書録》《読書続録》にみえる。理論的新展開がないため亜流と軽視される一方で,明末・清初の朱子学再興運動のなかでは高く評価された。日本では江戸期にかなり広く読まれた。【吉田 公平】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


せっせん
(1389―1464)

中国、明(みん)代初期の朱子学者。山西省の人。号は敬軒。人材の払底した明代初期に、よく朱子学を修めて思想界に活気を呼び戻した。しかし、呉与弼(ごよひつ)の門ほどには傑出した弟子に恵まれなかった。思想内容は朱子学の枠を一歩も出ない。朱子学を信奉して実践した朱子後学の一典型である。主著には『読書録』『読書続録』がある。これらは心性・理気論に限らず広く日常的倫理観を知るに貴重な記録である。明末清(しん)初の朱子学再評価のおりに見直され、日本では江戸時代によく読まれた。田公平]

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