宇木村(読み)うきむら

日本歴史地名大系 「宇木村」の解説

宇木村
うきむら

[現在地名]唐津市宇木

松浦川支流の宇木川流域にあり、背振せふり山地山麓村落。西と南は迫頭さこがしら山・大平おおひら山・三方さんほう山が背振山地に連なり、村落の中央に鶴崎つるさき丘陵が南から北へ長く延び出ている。村の北部はかつて松浦潟入江で弥生時代より開け、当時の海岸線一帯にあたる東長崎の汲田ひがしながさきのくんでん鶴崎葉山尻はやまじりなどには貝塚や弥生期から古墳期にわたる墳墓の遺跡がみられる。現在、東宇木・宇木・宇木下・宇木中・宇木上の集落がある。

鏡宮公文所上家分名寄帳の建武元年(一三三四)の個所に「宇木」の名が記されている。正保絵図には「有喜村」とある。


宇木村
うきむら

[現在地名]長野市大字三輪みわ 宇木

善光寺の東北、あさ川扇状地上の村。東は押鐘おしかね村と浅川分流で境し、西は同じく浅川の分流水路で境し、南は三輪みわ村・そりめ村と境する。村名の初見は、川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に、「四百五石九斗八升六合 宇木村」とある。

嘉暦四年(一三二九)三月の諏訪社上社の大宮御造栄之目録に、「玉垣三間 宇木・小居・平林」とあるように、鎌倉時代からの郷村で、諏訪御符礼之古書(守矢文書)に翌年の諏訪社上社の花会頭役所役郷を、「加頭 宇岐村トモ古井トモ云、此時返事ハ宇岐左京亮諏継、御符礼五貫六百文、使曾次二郎、此時宇木ヨリ僧被越候」と記し、宇岐村と書き、一名古井ともいったともいい、宇岐氏が領知していたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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