百科事典マイペディア 「宇田川文海」の意味・わかりやすい解説 宇田川文海【うだがわぶんかい】 小説家,新聞記者。江戸生れ。道具屋伊勢屋市兵衛の三男として生まれるが,幼いときに両親を失い,寺の小僧となり,のち還俗。印刷工となってから新聞界にかかわりはじめ,1875年には《浪花新聞》を創刊した。以後,《大坂日報》《魁(さきがけ)新聞》《大阪朝日新聞》《大阪毎日新聞》の記者をつとめ,新聞小説の前身である続き物,また新聞小説を多数執筆。《勤王佐幕 巷説二葉松》,演劇改良台本《何桜彼桜銭世中》,《寓意小説 蜃気楼》など。1900年,天理教に入信,《みちのとも》を編集,以後の後半生は天理教とともにあった。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「宇田川文海」の解説 宇田川 文海ウダガワ ブンカイ 明治期の小説家,新聞記者 生年弘化5年2月24日(1848年) 没年昭和5(1930)年1月6日 出生地江戸本郷新町(現・東京) 別名号=半痴,除々庵主人,別名=鳥山 棄三,法名=恵海 経歴12歳で得度し仏道精神に努める。明治3年文部省御用の活版所に勤め、その後6年に「遐邇新聞」主筆となり、「神戸港新聞」「大阪日日新聞」などを経て、14年「朝日新聞」に入社。入社後同紙に「勤王佐幕 巷説二葉松」などを発表し、小説家としても活躍する。23年「大阪毎日新聞」に入社し「うらかた」などを発表した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇田川文海」の解説 宇田川文海 うだがわ-ぶんかい 1848-1930 明治時代の小説家,新聞記者。弘化(こうか)5年2月24日生まれ。明治7年秋田の「遐邇(かじ)新聞」にはいり,のち「大阪日日新聞」「朝日新聞」「大阪毎日新聞」などにつとめる。この間,「春霞筑波曙」「巷説二葉松」などの歴史小説をかき,関西文壇で活躍した。昭和5年1月6日死去。83歳。江戸出身。別名に鳥山棄三。号は半痴,除々庵主人。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「宇田川文海」の解説 宇田川 文海 (うだがわ ぶんかい) 生年月日:1848年2月24日明治時代の小説家;新聞記者1930年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by