宇田川玄真(読み)ウダガワゲンシン

デジタル大辞泉 「宇田川玄真」の意味・読み・例文・類語

うだがわ‐げんしん〔うだがは‐〕【宇田川玄真】

宇田川榛斎うだがわしんさい

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精選版 日本国語大辞典 「宇田川玄真」の意味・読み・例文・類語

うだがわ‐げんしん【宇田川玄真】

  1. 江戸後期蘭医蘭学者伊勢国三重県)の人。本姓安岡。玄随の養子。号は榛斎(しんさい)大槻玄沢学び訳業に優れた。訳著「厚生新編」「遠西医方名物考」「和蘭薬鏡」。明和六~天保五年(一七六九‐一八三四

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改訂新版 世界大百科事典 「宇田川玄真」の意味・わかりやすい解説

宇田川玄真 (うだがわげんしん)
生没年:1769-1834(明和6-天保5)

江戸後期の蘭学者。宇田川玄随没後,望まれて養嗣子となり津山藩医として江戸詰のかたわら,蘭方医学塾を開き家学の発展をはかるとともに,多くの蘭学者を育成して江戸蘭学の発展に尽くした。本姓は安岡氏,伊勢の生れ,名は璘,字は玄真,号は榛斎。杉田玄白の門にあったとき,その才を認められ養嗣子となったが,訳あって離縁となった。玄随訳《西説内科撰要》を増訂,《西説医範提綱釈義》を刊行して西洋解剖説の普及に貢献,《和蘭薬鏡》《遠西医方名物考》を訳編して西洋薬物学を樹立幕府に出仕し《厚生新編》訳業に参画した。著訳書多く,日本最初の西洋小児科書,西洋眼科書(いずれも未刊)等を訳述した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇田川玄真」の解説

宇田川玄真 うだがわ-げんしん

1770*-1835* 江戸時代後期の蘭学者,医師。
明和6年12月28日生まれ。宇田川玄随,大槻玄沢(おおつき-げんたく)らにまなび,宇田川家をついで美作(みまさか)(岡山県)津山藩医となる。幕府によるフランス人ショメルの百科全書翻訳(「厚生新編」)にくわわる。「遠西医方名物考」「和蘭(オランダ)薬鏡」など医学,博物学の訳書を刊行した。天保(てんぽう)5年12月4日死去。66歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。本姓は安岡。名は璘。号は榛斎(しんさい)。

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旺文社日本史事典 三訂版 「宇田川玄真」の解説

宇田川玄真
うだがわげんしん

1769〜1834
江戸後期の蘭方医
本姓は安岡。伊勢(三重県)の人。大槻玄沢に蘭学を学び,稲村三伯の『ハルマ和解』編纂に協力。のち宇田川玄随の養子となった。著書に『遠西医範』など。

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367日誕生日大事典 「宇田川玄真」の解説

宇田川玄真 (うだがわげんしん)

生年月日:1769年12月28日
江戸時代中期;後期の蘭方医
1835年没

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世界大百科事典(旧版)内の宇田川玄真の言及

【膵臓】より

… 東洋医学には〈膵臓〉という概念はなく,いわゆる五臓六腑に入っていない。〈膵〉という字は,江戸時代に宇田川玄真によって造られた和製漢字で,《医範提綱》(1805)に初めて載せられたものである。萃は〈集まる〉という意味で,月(にくづき)と合わせて〈膵〉は〈肉の集合したもの〉すなわち原語のpancreas(pankreas)と同じように,〈すべてが肉からなる〉ということを表したものである。…

※「宇田川玄真」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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