宇田新太郎(読み)うだしんたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇田新太郎」の意味・わかりやすい解説

宇田新太郎
うだしんたろう
(1896―1976)

電気工学者。富山県に生まれる。1924年(大正13)東北帝国大学電気工学科を卒業後、母校の講師となり八木秀次(やぎひでつぐ)の下で超高周波工学の研究従事。1927年(昭和2)助教授、1932年9月より満2年間アメリカおよびドイツに留学の後、1936年東北大教授に就任。この間の「再放射体の導波現象の究明」の研究と現在のテレビ受信用アンテナとして有名な「八木‐宇田アンテナの発明」はとくに傑出したもので、世界的に高く評価されている。これらの研究が行われた1920年代は短波通信の実用化の段階ではあったが、当時の電気工学のなかでは、通信関係の研究の位置は低かった。そのなかで東北大の電気工学科が「弱電工学」の立場から基礎研究を進め、「電気を利用した通信法の研究」に対して財団法人斉藤報恩会から補助金を受けて、超高周波通信の開発に向けて力を結集したことが、宇田の研究の背景となっている。

[田中國昭]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「宇田新太郎」の解説

宇田 新太郎
ウダ シンタロウ

大正・昭和期の電気通信工学者 東北大学名誉教授



生年
明治29(1896)年6月1日

没年
昭和51(1976)年8月18日

出生地
富山県

学歴〔年〕
東北帝国大学工学部電気工学科〔大正13年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔昭和6年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院賞〔昭和7年〕,河北文化賞〔昭和27年〕,郵政大臣賞〔昭和33年〕,紫綬褒章〔昭和36年〕,勲二等〔昭和41年〕

経歴
大正15年八木秀次とともに電波指向方式アンテナ(八木・宇田アンテナ)を発明し、世界的に名をはせた。昭和6年「半メートル波長電波ニ依ル無線電信並ニ電話」により工学博士。同年東北帝大教授として電気通信工事の研究に従事、35年東北大学を定年退官、名誉教授。その後法政大学教授、神奈川大学教授を務めた。著書に「無線工学」(2巻)「電子量子工学の基礎」「半導体エレクトロニクス」「レーザーと光通信」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇田新太郎」の解説

宇田新太郎 うだ-しんたろう

1896-1976 大正-昭和時代の電気工学者。
明治29年6月1日生まれ。大正15年八木秀次とともに電波指向性アンテナ(八木-宇田アンテナ)を発明。昭和11年東北帝大教授。電気通信,とくに超短波の研究で知られる。昭和51年8月18日死去。80歳。富山県出身。東北帝大卒。著作に「無線工学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「宇田新太郎」の解説

宇田 新太郎 (うだ しんたろう)

生年月日:1896年6月1日
大正時代;昭和時代の電気通信工学者。東北大学教授;法政大学教授
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宇田新太郎の言及

【八木=宇田アンテナ】より

…八木秀次,宇田新太郎によって発明されたアンテナで,給電されたアンテナ素子の前後に無給電の導体棒を並べた形のものである。半波長より少し短い導体棒は電波をその方向に導くので導波器と呼ばれ前方に配列される。…

※「宇田新太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android