宇賀郷
うがごう
古代律令制下の出雲郡宇賀郷に由来する郷で、鼻高山山塊の東麓から北麓にあたる現平田市口宇賀町・奥宇賀町・河下町・別所町などを含む地域に比定される。中世には出東郡に属し、国中第一の伽藍と称された鰐淵寺も郷内に立地する。建長元年(一二四九)六月日の杵築大社造営所注進状(北島家文書)に多久郷を筆頭として智伊宮(現出雲市)・佐香保(現平田市)とともに流鏑馬を勤仕した。しかし、すでに平安末期に、郷内の浮浪滝を中心とする修験道・蔵王信仰の聖地が比叡山延暦寺の別所とされ、叡山の末寺とされていた。そして別所と寺地である唐川の地は、鰐淵寺の寺内とみなされ、神聖な修行の場であるとともに寺領支配の拠点として、国衙領としての宇賀郷の内部に独自の地歩を築いていた。
宇賀郷
うかごう
「和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠くが、ウカであろう。「出雲国風土記」によれば出雲郡八郷の一つで、郡家の北一七里余に郷長の家があり、地名は所造天下大神命が綾門日女命(神魂命の子)に求婚したが、女神はこたえず逃げ隠れたところ、大神が「伺ひ求ぎ給ひし」地が当郷で、これに由来するという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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