宇賀神社
うがじんじや
[現在地名]信濃町大字野尻
創立年代不詳。祭神は宇気母智命、合殿は市杵島比売命。南北朝時代の延文年間(一三五六―六一)、勧進僧了妙が施入した大般若経全六〇〇巻(現佐久市平原安養寺蔵)の第二三六巻奥書に、
<資料は省略されています>
とみえ、また第二九二巻の奥書に、
<資料は省略されています>
とみえる。当時は沼尻比巴(琵琶)嶋弁才天とよばれ、島に生身の弁才天が住んでいると信じられており、中世を通じて弁才天が広く尊崇されていた。戦国時代末期の甲越合戦には、野尻城とともに島も争奪の的となり、什物の前記大般若経は武田軍によって持ち去られたと伝えられ、荒廃した。
宇賀神社
うがじんじや
長浜川の下流左岸、字前塩田に鎮座する。祭神は宇賀魂神。古くは惣蔵社ともいった。
「三代実録」元慶三年(八七九)九月二七日条に土佐国の「正六位上宇賀神」が従五位下に昇階した記事がみえ、当社に比定される。「土佐幽考」は「里人伝曰宇賀社又惣蔵、且云古有宇賀長者子孫今見在国内是其神也」と里伝を紹介し、さらに、古くには国中の新穀を集めてこれを祀ることが行われたが、この神社はその稲霊を祀ったものという。またここに当国の官倉があって正税公廨の雑稲を収めていたとし、その蔵を惣蔵とよんだといい、惣蔵社の名もそれにちなむとする。天正一六年(一五八八)の長浜地検帳に「ソウソウ宮修理田」とみえる。
宇賀神社
うがじんじや
眉山の麓に鎮座する。祭神は豊受姫命(一説に笠縫神・宇賀魂神)。旧村社。宇賀大明神とも称する。笠縫神の子孫が祖を祀ったものという。寛永一九年(一六四二)写の国中寺社領高書上(覚城院文書)に笠岡之宮とあり、新田高三石。別当は長林寺、社地三反五畝、祭礼九月一九日であった(西讃府志)。元和三年(一六一七)の棟札が現存し、現本殿再建のものと考えられる。例祭日は一〇月八日・九日。
宇賀神社
うがじんじや
[現在地名]両津市両尾
両尾の西端、海を望む糠塚山(一〇六・五メートル)の頂上にある。祭神稲倉魂尊。「佐渡国道程指掌」椎泊村の項に「右方に両尾富士とて廿丈ばかりの丸山、もつとも松山也、山頂に小祠有」と記す。延享元年(一七四四)頃の「久知軍記」に「今は其岩穴の上に社を建て、宇賀神を祝ひ、則富士権現と申奉り候」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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