精選版 日本国語大辞典 「宇都野研」の意味・読み・例文・類語 うつの‐けん【宇都野研】 歌人。愛知県出身。東京帝国大学卒。はじめ佐佐木信綱に、のち窪田空穂に師事、歌誌「勁草(けいそう)」を創刊主宰。歌集「木群」「春寒抄」。明治一〇~昭和一三年(一八七七‐一九三八) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
20世紀日本人名事典 「宇都野研」の解説 宇都野 研ウツノ ケン 大正・昭和期の歌人,小児科医 生年明治10(1877)年11月14日 没年昭和13(1938)年4月3日 出生地愛知県額田郡本宿村 学歴〔年〕東京帝国大学医科〔明治40年〕卒 経歴明治45年、本郷に小児科病院を開設する。大正6年竹柏会に参加、佐佐木信綱に師事して8年「十姉妹のまへに立ちて」を刊行。その後、若山牧水、窪田空穂に師事して、9年「朝の光」を創刊。昭和4年には「勁草」を創刊した。他の歌集に「木群」「春寒抄」などがあり、歌論集として「実作者の言葉」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇都野研」の意味・わかりやすい解説 宇都野研うつのけん(1877―1938) 歌人。愛知県生まれ。本名は研(きわむ)。東京帝国大学医学部卒業。小児科医。初め佐佐木信綱(のぶつな)、のちに窪田空穂(くぼたうつぼ)に師事。短歌誌『朝の光』(1934創刊)を主宰。知性の冷徹と、生への情熱の反映する、鋭く現実ときり結ぶ作をなした。歌集に『木群(こむら)』(1927)など。歌論集に『実作者の言葉』(1933)など。『宇都野研全集』上下(1939)がある。 事切れし子にし哭(な)きつるその手して賜(た)びたる銭をふところにしぬ[武川忠一] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇都野研」の解説 宇都野研 うつの-けん 1877-1938 大正-昭和時代前期の歌人。明治10年11月14日生まれ。東京の小児科医。大正6年佐佐木信綱の竹柏(ちくはく)会にはいる。のち窪田空穂(くぼた-うつぼ)に師事し,短歌誌「朝の光」や「勁草」を主宰した。昭和13年4月3日死去。62歳。愛知県出身。東京帝大卒。本名は研(きわむ)。歌集に「木群(こむら)」,歌論に「実作者の言葉」など。【格言など】物を言ふけだものどもとあらがへばたましひ吾れの身を遠ざかる(「木群」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
367日誕生日大事典 「宇都野研」の解説 宇都野 研 (うつの けん) 生年月日:1877年11月14日大正時代;昭和時代の歌人;医師。小児科1938年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報