安和村(読み)あわむら

日本歴史地名大系 「安和村」の解説

安和村
あわむら

[現在地名]須崎市安和

北の角谷かどや(三二八・五メートル)―角谷岬を結ぶ稜線と、西の水谷みずだに(三一八メートル)から南方青木あおき崎に延びる山嶺に囲まれた海辺の村。北は須崎村、南は鎌田かまだ(現高岡郡中土佐町)で、中村街道に沿う。建長二年(一二五〇)一一月日付の九条道家初度惣処分状(九条家文書)にみえる幡多はた(現幡多郡など)の加納地「久礼別符」に含まれていたと考えられる。天正一六年(一五八八)検地では久礼くれ(現中土佐町)に含まれ、久礼分地検帳によると安和村の地積一七町四反余、ヤシキ三八筆で久礼城(現中土佐町)城主佐竹氏分。

江戸時代にも久礼村の枝郷であったが(元禄郷帳)庄屋は置かれた。貞享元年(一六八四)就任の古屋弥兵衛を初代とし、文化元年(一八〇四)から嘉永六年(一八五三)まで中山氏が世襲したほかは転任型の庄屋であった(須崎市史)


安和村
あーむら

[現在地名]名護市安和あわ勝山かつやま

名護なぐ間切の西端に位置し、東は山入端やんぱー村。集落名護なご湾に面し、その北側から西側に安和あわ岳・嘉津宇かつう岳・八重やえ岳など古生代石灰岩の山地が連なる。その山々を水源として、集落の西側を安和与那川あーゆながーが、東側を安和前川あーめーがーが流れ、名護湾に注ぐ。西のはずれに部間ぶーまの小集落があり、山地中腹の部間ぶーま権現の洞窟からは青磁が採集されている。集落の北東の丘陵にある上座毛ういざもー(現在の集落の北東側)が安和の故地という(安和の語りぐさ)。「おもろさうし」巻一四の六に「一 おんなやちきまよ(恩納のヤチキマ〔人名〕よ)/あふそやちきまよ(安富祖のヤチキマよ)/おもひはのきもちやさ(思うと気の毒だ)/又 あわおやのもすめ(安和の親の娘)/きもちやおやのもすめ(肝痛親の娘)/又 やまこまて みつき(山に籠って三月)/たけこまて みつき(嶽に籠って三月)/又 かちやも せゝられて(蚊に刺されて)/ぬかこ せゝられて(糠子〔蚊〕に刺されて)」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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