安祥城(読み)あんじょうじょう

精選版 日本国語大辞典 「安祥城」の意味・読み・例文・類語

あんじょう‐じょうアンジャウジャウ【安祥城】

  1. 愛知県安城市にあった城。文明年間(一四六九‐八七)、松平信光本拠地として以来、岡崎に移るまで徳川四代の居城となる。

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日本の城がわかる事典 「安祥城」の解説

あんしょうじょう【安祥城】

愛知県安城市にあった中世の平山城(ひらやまじろ)。三河国碧海郡(あおみのこおり)周辺(現愛知県碧海(へきかい)郡)を支配していた和田親平が1440年(永享12)に築城したとされる。その後、1471年(文明3)に、岩津城(岡崎市)の松平信光(のぶみつ)が謀略を用いて無血落城させ、以後4代にわたって松平氏の居城となった。この4代を安祥松平氏という。安祥松平氏4代の松平清康(きよやす)(徳川家康の祖父)は岡崎城(岡崎市)を攻略したが、そのまま安祥城を本城とし、清康の子の松平広忠家康の父)の代に居城を岡崎城に移した。1540年(天文9)、古渡城(名古屋市)の織田信秀織田信長の父)が安祥城を攻撃して落城させ、城代として織田信広を置いた。以後、織田氏と松平氏・今川氏との間で城をめぐる攻防(安城合戦)が繰り広げられた。この戦いで、劣勢に立った松平広忠は今川義元救援を求めたが、その際、人質として竹千代(徳川家康)を要求され、以後、三河松平氏は今川氏の傘下に組み込まれることになったほか、安祥城も今川氏により攻略された。今川義元が戦死した桶狭間の戦い後、松平元康(のちの徳川家康)は今川氏から独立し、織田信長との間に清洲同盟を結んだ。これにより、織田氏から岡崎城を守る防衛拠点としての安祥城の価値が薄らいだこともあって、1562年(永禄5)ごろに廃城となった。その後、豊臣秀吉と徳川家康との間に起こった小牧長久手の戦いの際、徳川方は安祥城跡に兵を置いた記録がある。現在、城跡の一部は安祥城址公園として整備されていて、園内には曲輪(くるわ)、土塁、堀跡が残っている。また、同公園に隣接した、かつての城域に安城市歴史博物館がある。名鉄西尾線南安城駅から徒歩約15分。◇森城ともよばれる。

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