定海(読み)ていかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「定海」の意味・わかりやすい解説

定海
ていかい / ティンハイ

中国、浙江(せっこう)省東端にある舟山(しゅうざん)市の市轄区。舟山群島の舟山島を中心に128の島からなる。人口38万7700(2015)。唐代に翁山(おうざん)県が設置され、明(みん)代に定海衛となり、清(しん)代初めに定海県が置かれた。のち直隷庁に改められたが1912年ふたたび県に復した。海防上の要衝として古くから重視されてきたが、アヘン戦争の際イギリス海軍に占領されたこともある。1987年、普陀(ふだ)県と合併し舟山市として市制施行、その市轄区となった。米、サツマイモなど農業が生業であるが、付近の海域は中国有数の漁場で、タチウオアイナメ、イカ、クラゲなどの漁獲が多い。また中華人民共和国成立後、製塩業の発展が著しい。名勝旧跡には黄楊尖(こうようせん)、祖印寺、アヘン戦争遺跡公園などがある。

[林 和生・編集部 2017年4月18日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「定海」の解説

定海 じょうかい

1074-1149 平安時代後期の僧。
延久6年1月3日生まれ。源顕房の子。真言宗醍醐(だいご)寺の義範弟子となり,同寺三宝院の勝覚(しょうかく)より灌頂(かんじょう)をうける。範俊(はんじゅん)らから小野流をまなび,三宝院流をひらく。保延(ほうえん)4年大僧正。この間,醍醐寺座主(ざす),東大寺別当,東寺長者をつとめた。三宝院大僧正,上生僧正とよばれた。久安5年4月12日死去。76歳。

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367日誕生日大事典 「定海」の解説

定海 (じょうかい)

生年月日:1074年1月3日
平安時代後期の真言宗の僧
1149年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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