宝光院跡(読み)ほうこういんあと

日本歴史地名大系 「宝光院跡」の解説

宝光院跡
ほうこういんあと

[現在地名]小林市細野

細野ほその地区の南西、現在の専寿せんじゆ寺の辺りにあった天台宗の寺院。承和寺・高屋寺・不動寺などと称した時期もあった。本尊薬師如来・夾侍釈迦弥陀。承和一四年(八四七)慈覚大師円仁が中国からの帰途霧島山で供養、景行天皇行宮の跡という当地を霊地と感じ、中国より持帰った円鏡一面を寺院創建の印証として当寺を開基し、鷹導山宝光院承和寺と称した。当時は比叡山延暦寺の末寺。そののち村上天皇の時代、性空が雛守ひなもり権現を勧請する際宝光院で精練修行、同権現社の別当寺とし、三峯山宝光院承和寺と号した。


宝光院跡
ほうこういんあと

[現在地名]高野町高野山

慈光じこう院の南、三蔵さんぞう院・正蔵しようぞう院の北にあったが(文化一〇年高野山細見絵図)、明治期にみなみ谷の浄菩提じようぼだい院に合併された。旧敷地は現在高野山高校敷地の一部となっている。本尊は阿弥陀如来と伝える。「諸院家析負輯」は兼澄勝喜房(建仁三年没)を開基とする。文明五年(一四七三)の諸院家帳に「律樹房建立」とあるのは、このとき律樹房が本堂などを建立したためと思われる(続風土記)正智しようち院道範は初め当院に住し、建長元年(一二四九)讃岐配流より帰山後も当院に住した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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