デジタル大辞泉 「宝永通宝」の意味・読み・例文・類語 ほうえい‐つうほう【宝永通宝】 江戸幕府が、宝永5年(1708)から翌年にかけて発行した銅貨。1枚が並銭10文相当とされたため十文銭といわれ、また、大型であったため大銭ともよばれた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「宝永通宝」の意味・読み・例文・類語 ほうえい‐つうほう【宝永通宝】 〘 名詞 〙 江戸時代、宝永五年(一七〇八)四月に発行された十文通用の銅銭。翌年一月通用が停止された。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「宝永通宝」の意味・わかりやすい解説 宝永通宝 (ほうえいつうほう) 1708年(宝永5)1月京都七条の銭座で鋳造・発行された銭貨で,大型の10文通用の銅貨。この鋳造は京都の糸割符仲間年寄の長崎屋忠七,菱屋五兵衛,鮫屋三郎右衛門,清水宗仙が請け負い,この銅貨には〈永久世用〉という文言が鋳出されている。宝永期には幣制の混乱がはなはだしく,銅貨が払底し,そのため両替屋らは不当な利益を得る状態となっていたので,江戸幕府は宝永通宝の鋳造を命じた。ところが,10文通用の大銭に人々は不慣れであり,世評はよくなかったので,翌年1月にはその通用を停止した。執筆者:作道 洋太郎 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
旺文社日本史事典 三訂版 「宝永通宝」の解説 宝永通宝ほうえいつうほう 江戸中期,幕府が鋳造した銅銭1708(宝永5)年勘定奉行荻原重秀の建策により鋳造した10文銭。鋳造高の5割を幕府に上納させ幕府の財源収入をはかったが,大銭のため持ち運びに不便で評判が悪く,翌年鋳造を中止した。 出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宝永通宝」の意味・わかりやすい解説 宝永通宝ほうえいつうほう 江戸幕府が宝永5 (1708) 年京七条の銭座で鋳造させた十文銅銭。銅銭不足の解消,貨幣流通の円滑化を目的として発行されたが,大銭と俗称される大型のため評判が悪く,翌6年1月に通用が停止された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報