有島武郎(たけお)の評論。1922年(大正11)1月『改造』に発表。ロシア革命の影響などから当時勃興(ぼっこう)しつつあった労働運動に対して、労働者階級以外の立場にある知識人としての自己の態度を表明する。労働者自身の力が、既存の社会体制を変革しうるのであって、作者のような知識階級は、その変革主体となりえず、結局は支配体制に組み込まれていると説く。この宿命論的な自己規定をめぐって、広津和郎(かずお)、片上伸、堺利彦(さかいとしひこ)、河上肇(はじめ)、室伏高信(むろぶせこうしん)などが反駁(はんばく)し、6か月にわたる論争がおこる。革命と文学、政治と知識人という昭和文学の問題に連なる先駆的文献といえる。
[山田俊治]
『平野謙・小田切秀雄・山本健吉編『現代日本文学論争史 上』(1956・未来社)』
…19年《或る女のグリンプス》を改稿して前編とし,後編を書き下ろして代表作《或る女》を完成し,続いて20年,独自の生命哲学《惜みなく愛は奪ふ》の決定稿を発表し,彼の文学の頂点をなす仕事を果たした。以後創作力が衰え,長編《星座》(1922)も中絶するが,ロシア革命後の歴史状況にあって有産階級の知識人がいかに生きるかを真摯(しんし)に苦悩した〈宣言一つ〉を22年に発表し,また,その年に北海道の有島農場を解放したりして話題を呼んだ。23年人妻波多野秋子と軽井沢で情死。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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