古代の墾田地系荘園に対して,寄進によって成立した荘園。とくに田地の寄進とともに,租税収取権など国家的諸権限の割譲をともなった荘園のこと。平安後期以降,国家による所領没収や課役の賦課からのがれるため,有力農民や在地領主は自己の開発した地を貴族や寺社などに寄進し,所領支配を維持あるいは発展させようとした。寄進をうけた側の力が弱く国司の干渉などを十分に排除できない場合,寄進をうけた者から院などへ再寄進が行われて支配権の確保がはかられた。
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…1184年(元暦1)5月の後白河院庁下文(案)によれば,越前国河和田荘はもと藤原周子の先祖相伝の私領であったが,待賢門院のはからいで法金剛院に寄進し,その際〈地頭預所職〉は周子が留保して子孫相伝することになったという由来が述べられている。いわゆる寄進地系荘園成立の一例であるが,文中に〈当御庄者,是当預所帯本公験,代々相伝之地主也〉と記され,領家への荘園寄進によってその預所となった本来の領主が,その後も依然として地主と呼ばれていたことが判明する(仁和寺文書)。また1105年(長治2)2月10日の橘経遠寄進状にも,〈地主〉経遠が右衛門督藤原宗通に寄進した相伝所領田畠30町歩について,〈経遠之子孫を地主とせしめ給うべき也〉(原漢文)との文言が見られ,これまた類似の例である(九条家文書)。…
…こうした免判は国守の交替とともに変転し,各地で荘園や寄人をめぐる紛争が続発するとともに,〈倒れるところに土をつかめ〉といわれたほどの収奪をする国守=受領(ずりよう)に対する郡司や百姓たちの上訴が頻々とおこり,東国では国内の郡・条を固めた武将が自立の姿勢を示すなど,騒然たる状況の中で11世紀中葉,政府は再び国制の改革を迫られることとなった。
[寛徳・延久以後の土地制度――寄進地系荘園]
ここにいたるまで,政府は延喜荘園整理令以後(〈格後(きやくご)〉)の荘園の停止をたびたび令してきたが,1045年(寛徳2)あらためて前国守の任中以後の新立荘園を停止した寛徳荘園整理令を発し,それ以前の荘園を公認,それとともに在庁官人の所領や領主の新たに開発した地を別名(べちみよう)として認め,公田への官物賦課の率法(官物率法)を定め,臨時雑役も整理する方向を進めた。こうして官物は年貢に,臨時雑役は公事になっていくが,さらに後三条天皇の延久の改革はその上に立って,積極的に新たな体制を打ち出そうと試みたのである。…
※「寄進地系荘園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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