朝日日本歴史人物事典 「富本斎宮太夫」の解説
富本斎宮太夫(初代)
生年:享保12(1727)
江戸中期の富本節の太夫。本名清水権次郎。はじめ宮古路品太夫(のち富本豊前掾)の門に入り,寛延1(1748)年8月,師が富本節を創始して以来,富本斎宮太夫の名で,宝暦11(1761)年までワキを語った。翌年,町人となり清水太兵衛という米穀商になったといわれるが,師の没後,明和3(1766)年より,師の子午之助(のち2代目富本豊前太夫)の後見を勤めるようになった。午之助が豊志太夫,豊前太夫と改名するのと同時に,伊津喜太夫,斎宮太夫と名を改め,共に富本節全盛期を支えた。寛政6(1794)年1月,剃髪して延寿斎,9年には延寿と改名。のちに初代清元延寿太夫となる2代目斎宮太夫の後見も勤めた。
(根岸正海)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報