富本斎宮太夫(読み)とみもと・いつきだゆう

朝日日本歴史人物事典 「富本斎宮太夫」の解説

富本斎宮太夫(初代)

没年:享和2.5.18(1802.6.17)
生年享保12(1727)
江戸中期の富本節太夫。本名清水権次郎。はじめ宮古路品太夫(のち富本豊前掾)の門に入り,寛延1(1748)年8月,師が富本節を創始して以来,富本斎宮太夫の名で,宝暦11(1761)年までワキを語った。翌年,町人となり清水太兵衛という米穀商になったといわれるが,師の没後,明和3(1766)年より,師の子午之助(のち2代目富本豊前太夫)の後見を勤めるようになった。午之助が豊志太夫,豊前太夫と改名するのと同時に,伊津喜太夫,斎宮太夫と名を改め,共に富本節全盛期を支えた。寛政6(1794)年1月,剃髪して延寿斎,9年には延寿と改名。のちに初代清元延寿太夫となる2代目斎宮太夫の後見も勤めた。

(根岸正海)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富本斎宮太夫」の解説

富本斎宮太夫(初代) とみもと-いつきだゆう

1727-1802 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
享保(きょうほう)12年生まれ。宮古路(みやこじ)品太夫(初代富本豊前(ぶぜん)太夫)の弟子。富本節を創始した師のワキをかたる。師の没後,その子午之助(うまのすけ)(2代豊前太夫)の後見をつとめ,富本節の基礎をきずいた。富本伊都喜太夫などをへて剃髪(ていはつ)して延寿斎,延寿と改名。享和2年5月18日死去。76歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。姓は清水。通称は権次郎。

富本斎宮太夫(4代) とみもと-いつきだゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
富本節。初名は志賀太夫。弘化(こうか)3年(1846)4代を襲名。一時別派をたて斎宮大和大掾(やまとのだいじょう)を名のったが,のちに復帰明治初めごろに没した。

富本斎宮太夫(3代) とみもと-いつきだゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
富本節。初名は多見太夫。文化8年(1811)2代斎宮太夫(初代清元延寿太夫)が富本から独立したあと,11年3代を襲名。天保(てんぽう)の初めまで江戸で活躍した。

富本斎宮太夫(2代) とみもと-いつきだゆう

清元延寿太夫(きよもと-えんじゅだゆう)(初代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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