富樫雅彦(読み)トガシ マサヒコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「富樫雅彦」の解説

富樫 雅彦
トガシ マサヒコ


職業
ジャズ・ドラマー パーカッション奏者

生年月日
昭和15年 3月22日

出生地
東京都 目黒区

学歴
立教中学中退

経歴
音楽家の父の影響で幼少より音楽に親しみ、小学生の時はバイオリンを習う。中学に入るとジャズに傾倒し、チャーリー石黒と東京パンチョスのバンドボーイをしながらドラムを練習。師の奥田宗宏からはジャズドラムの神といわれたマックス・ローチを目指せと叱咤激励された。14歳の時に松岡直也トリオでプロデビューしてからは、八木正生トリオや渡辺貞夫のコージー・カルテットなどで活躍し、リズム感にすぐれたドラミングで注目された。昭和36年高柳昌行、金井英人、菊地雅章らとジャズ・アカデミー・カルテットを結成。40年山下洋輔、滝本国郎、武田和命といったメンバーを擁して初めて自己のカルテットを組み、我が国におけるフリージャズの先駆者となった。41年には米国から帰国した渡辺が再結成したカルテットに加わり、42年発表の同カルテットのアルバム「ジャズ&ボッサ」を皮切りに巻き起こったボサノバブームの隆盛一翼を担う。さらに高木元輝とともに映画「略称・連続射殺魔」の音楽を担当。44年事故により下半身の自由を失うが、1年間の療養ののち独自のドラムセットを考案して復帰し、日本に長期滞在していたゲイリー・ピーコックらとコラボレーションを行うなど積極的な演奏活動を再開した。またこの間、ニューハードの「牡羊座の詩」を作るなど、作曲家としての活動も開始。48年佐藤允彦とともにデュオを結成。50年には初のソロアルバム「リングス」を制作した。同年欧州への演奏旅行を敢行し、チャーリー・ヘイデン、ドン・チェリーらと共演。そのほか、マル・ウォルドロン、ポール・ブレイ、リッチー・バイラーク、セシル・テイラー、スティーブ・レイシーといった海外の大物ジャズ・ミュージシャンと共演している。55年にはドイツのドナウエッシェン音楽祭に出演し、好評を博した。平成3年佐藤とともにJJスピリッツを組んで活動。12年には音楽生活45周年を記念してコンサートを開催したが、14年体調を崩したため演奏活動を引退し、以後は作曲活動と絵画に専念した。他のアルバムに「DEFORMATION」「ウイ・ナウ・クリエイト」「スピード&スペース」「双晶」「トワイライト」「スケッチ」「ソング・オブ・ソイル」「兆」「バンブー・ビレッジ」「BREATH」「SCENE」「moment Aug 15」「ゴールデン・サークル6」「コントラスト」などがある。

受賞
ジャズ・ディスク大賞(日本ジャズ賞)〔昭和44年・49年・50年・51年・54年・55年・57年〕,芸術選奨文部大臣新人賞(昭和52年度)〔昭和53年〕,南里文雄賞(第5回)〔昭和54年〕,ジャズ・ディスク大賞(日本ジャズ賞 第25回)〔平成3年〕「プレイズ・ビーバップVol.1」

没年月日
平成19年 8月22日 (2007年)

伝記
ジャズ転生―現代ジャズの展開私は音楽が好き 清水 俊彦 著奥田宗宏(発行元 晶文社近畿日本ツーリスト 日本文化出版〔発売〕 ’87’87発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富樫雅彦」の解説

富樫雅彦 とがし-まさひこ

1940-2007 昭和後期-平成時代のドラマー,作曲家。
昭和15年3月22日生まれ。中学在学中にドラムをはじめ,昭和36年高柳昌行らとジャズアカデミーを結成。40年山下洋輔らと日本ではじめてのフリージャズ演奏をおこなう。事故で車いす生活をおくるが,高橋悠治らと共演する。アルバムに「スピリチュアル・ネイチャー」など。平成3年ジャズ・ディスク大賞。平成19年8月22日死去。67歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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