翻訳|sleeping car
旅客が夜間寝て旅行できるよう、座席のかわりに寝台を設けた客車または電車。1930年代後半のアメリカの長距離鉄道開業後、カーテンで仕切った寝台を設けた簡易な寝台車が運行されたが、営業運行が盛んに行われるようになったのは、アメリカの発明家プルマンGeorge Mortimer Pullman(1831―1897)が、客車の中央通路の両側に寝台を設けた開放寝室式(プルマン式)を考案し、製造した1859年以降である。日本での運行は1900年(明治33)4月、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が神戸―徳山間の急行列車に連結したのが最初である。日本国有鉄道(国鉄。現、JR)時代の寝台車は、A寝台車は1人用および2人用の個室式と開放2段寝室式とからなり、B寝台車は、1人用、2人用の個室式、簡易コンパートメント(4人用個室としても利用できる)、開放2段寝室式とからなり、料金や用途にあわせて選択できるようになっていた。
1956年(昭和31)寝台車のみで編成された特急列車「あさかぜ」が東京―博多(はかた)間を初めて走った。2年後の1958年に車両の外部塗装をそれまでの茶色から青一色にしたのでブルートレインと称され、電源車を連結した冷暖房完備の長距離寝台特急列車として1970年まで増備が続けられた。1975年東海道・山陽新幹線が東京―博多間を走るようになったころから、鉄道の高速化、航空機や夜行バスとの競争などに押されて、運転本数の減少や運転区間の短縮、食堂車の廃止など、しだいに衰退の傾向がみられるようになった。
このような状況のなかで、1984年にB寝台に初めて簡易コンパートメントが導入された。通路側に仕切りを取りつけ、下段ベッドはソファにもなる個室で、B寝台4人分の料金で個室が利用できるようになった。1987年にはB寝台2人用個室やシャワー室を備えた車両なども登場した。また1988年3月の青函(せいかん)トンネルの開通を機に「北斗星」(上野―札幌)や「トワイライトエクスプレス」(大阪―札幌)が機関車牽引(けんいん)の客車として登場し、A寝台個室をはじめとする各種個室、夜間利用を考慮した座席車両「レガートシート」車などが連結され多様化が進んだ。1998年(平成10)には個室を主体に構成された寝台電車「サンライズエクスプレス」が新製された。これはB寝台個室が中心で、寝台料金がいらないカーペット敷き車も連結され、比較的安い料金で利用できるようになった。一方1999年には「北斗星」を発展させた「カシオペア」が加わり、こちらはすべてA寝台2人用個室で構成され、食堂車も連結されて豪華さを売り物にしていた。しかし、新幹線の延伸による日帰り圏の拡大や高速バスとの競争により、寝台列車は順次廃止された。2017年(平成29)10月時点で、定期寝台列車として運行しているのは「サンライズ出雲(いずも)」(東京―出雲市)および「サンライズ瀬戸」(東京―高松)のみである。また、JR九州はさらに豪華なクルーズトレインとよばれる観光寝台列車「ななつ星 in 九州」を、2013年10月から運行し、同様に、JR東日本は「TRAIN SUITE 四季島(トランスイートしきしま)」を2017年5月から、JR西日本は「TWILIGHT EXPRESS 瑞風(トワイライトエクスプレスみずかぜ)」を同年6月から運行している。これらについては「クルーズトレイン」の項を参照されたい。
[吉村光夫・佐藤芳彦 2017年10月19日]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…また客室の形態も,ヨーロッパでは個室に区分することが多かったのに対し,アメリカでは開放型を採用していた。寝台車,食堂車など特殊用途の客車も,19世紀後半に登場している。日本では1872年(明治5)の鉄道開業時にイギリスから輸入した2軸客車58両を使用したが,3年後には国産(車軸は輸入)の2軸客車が製造されている。…
※「寝台車」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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