対馬銀山跡(読み)つしまぎんざんあと

日本歴史地名大系 「対馬銀山跡」の解説

対馬銀山跡
つしまぎんざんあと

[現在地名]厳原町樫根

七世紀以来知られる日本最古の銀山。近年まで佐須さす鉱山として亜鉛・鉛を産出した。裏河内うらごうちに鎮座する銀本かねもとの宮の故地が最初の採掘場と伝えられ、「日本書紀」天武天皇三年(六七四)三月七日条に対馬国司の忍海造大国が初めて産出された銀を貢納したとある。なお「続日本紀」大宝元年(七〇一)三月二一日条に対馬島が金を貢納してきたことにより大宝元年と改元したとあり、また八月に大納言大伴御行が大倭国忍海郡の三田首五瀬(渡来人の子孫)を対馬島に派遣して金鉱石より黄金を取出させた。また対馬島司および郡司が位一階、金を産出した郡の郡司は位二階の昇進があり、郡の百姓は二ヵ年の賦役を全免とされた(同書同年八月七日条)。しかしこの金は五瀬の詐欺で、御行はその誤りを知ったと記される。「三代実録」貞観七年(八六五)八月一五日条によれば、対馬島の下県郡にある銀穴は四〇余丈ほどもあり、昼でもかがり火をもって入るほか、所々は崩塞しており、しばしば人足を用いて修繕しているという。また夏の雨で穴底が湛水し、その回復に要する人力は計り知れないものがあるとし、延暦一五年(七九六)の例にならって、島例挙大豆一〇〇石および租地子穀一〇〇石を、掘開の料に充てるよう大宰府から新制が出ている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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