7世紀後半の豪族。長徳(ながとこ)の子で安麻呂の兄,御依の父にあたる。672年の壬申の乱に大海人皇子(天武天皇)方について功があり,乱後功封100戸を賜った。675年(天武4)小錦上の冠位で兵政官大輔となって以後,天武・持統・文武3朝に官人として活躍,冠位を進められ,封戸・資人等を賜り,684年にはそれまでの連(むらじ)姓から宿禰(すくね)姓となり,また694年(持統8)には大伴氏の氏上となった。696年には大納言正広肆で,右大臣多治比嶋につぎ,阿倍御主人(みうし)と並ぶ地位にあった。文武天皇の701年正月大納言正広参で没し,正広弐右大臣を贈られた。《万葉集》に大将軍贈右大臣大伴卿の作として,著名な〈大王は神にしませば赤駒の匍匐(はらば)ふ田井を京師(みやこ)となしつ〉の歌を載せる。また大伴坂上郎女の歌の左注に,大伴駿河麻呂の祖父として見える高市大卿を御行にあてる説もある。
執筆者:笹山 晴生
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(佐藤信)
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?~701.1.15/16
7世紀後半の上級官人。長徳(ながとこ)の子。安麻呂の兄。子に御依(みより)がいる。684年(天武13)連(むらじ)から宿禰(すくね)を賜姓され,694年(持統8)氏上(うじのかみ)に任じられた。696年大納言。壬申の乱の功臣で,死後701年(大宝元)に功封を支給され,一部の子への伝領が許された。文武天皇はその死を悼み,右大臣を贈った。「万葉集」に「大君は神にしませば」の歌が残る。712年(和銅5)妻の紀音那(きのおみな)が貞節を表彰された。
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