寿都(読み)すっつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「寿都」の意味・わかりやすい解説

寿都(町)
すっつ

北海道西部、後志(しりべし)総合振興局管内の町。日本海に面する。1900年(明治33)一級町村制施行で寿都町となり、1933年(昭和8)政泊(まさどまり)村と、1955年歌棄(うたすつ)、磯谷(いそや)の2村と合併。国道229号が海岸を通る。町名はアイヌ語のシュプキペツ(川の意)またはシュツウ(山の麓(ふもと)の意)に由来。黒松内地溝帯に位置し、朱太(しゅぶと)川が北流して寿都湾に注ぐ。『江差追分(えさしおいわけ)』で知られる歌棄、磯谷を含む寿都湾一帯はかつてニシンの千石場所で栄えた地。場所請負人佐藤家の漁場建築(道指定文化財)が残る。現在はイカ、マス、ホッケ漁などのほか、湾内ではサケ・マス、ホタテアワビ養殖、ウニ種苗生産が行われる。アスパラガス、ジャガイモ、ナガイモの農業や、シラス佃煮(つくだに)、ホッケ飯寿しなどの水産加工業もある。面積95.25平方キロメートル、人口2838(2020)。

[瀬川秀良]


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改訂新版 世界大百科事典 「寿都」の意味・わかりやすい解説

寿都[町] (すっつ)

北海道南西部,後志(しりべし)支庁寿都郡の町。北は日本海に面する。人口3443(2010)。1716年(享保1)江差地方のニシン漁が不漁のためこの地方への出漁者が増え,さらに1802年(享和2)越年の禁が解かれたころから移住者が増し,津軽藩の出張陣屋も置かれるようになった。明治に入ってからも人口が増え,行政の中心としても繁栄した。1918年からニシンが減少し,昭和に入ってからはまったく姿を見せなくなって,ニシン漁は衰退したが,漁港の整備,漁業の近代化は進められ,漁業は発展した。おもな漁獲物としてスケトウダラ,イカがあるが,寿都湾内でのアワビ,ホタテガイの養殖にも力が入れられている。年間の半分近くが風速10m以上の風が吹く強風の地で,とくに5月から8月にかけて吹く南南東の風は寿都のだし風と呼ばれている。《江差追分》で,女性を〈せめて歌棄(うたすつ)磯谷(いそや)まで〉連れて行きたいと歌われた歌棄,磯谷は町内の地名であるが,この女人禁制も1856年(安政3)ころに解かれた。
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百科事典マイペディア 「寿都」の意味・わかりやすい解説

寿都[町]【すっつ】

北海道寿都郡の町。渡島(おしま)半島の基部西岸にあり,主集落は寿都,歌棄(うたすつ),磯谷(いそや)。寿都湾に臨む良港の寿都は明治期にニシン漁で栄えた。ウニ種苗生産,サケ・マス増殖などを行い,アスパラ,ジャガイモを産する。景勝地弁慶岬がある。95.24km2。3443人(2010)。

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