日本大百科全書(ニッポニカ) 「場所請負制」の意味・わかりやすい解説
場所請負制
ばしょうけおいせい
松前(まつまえ)藩において藩主や藩士が、運上金の納入を条件に、蝦夷(えぞ)地の交易権を商人に委託し、経営を請け負わせた制度。「場所」はアイヌ交易の地の意味である。農業を基盤にできない松前藩では、知行(ちぎょう)の内容はこの交易の利であった。藩主も、家臣である知行主も商船を「場所」に派遣し、その地のアイヌと交易を行ったが、蝦夷地の不漁などにより経営に困難が生ずると、交易権を商人に委託し、知行主は一定の運上金を受け取るようになっていった。こうして享保(きょうほう)~元文(げんぶん)年間(18世紀前半期)にほとんどの「場所」が、請負制をとるようになった。これにより知行主は運上金収入を確保し、商人は利潤追求活動の保証を得ることとなったが、恣意(しい)的な利潤追求は、たとえば請負人飛騨屋(ひだや)のもとで虐使された国後(くなしり)・目梨(めなし)のアイヌが蜂起(ほうき)した(1789)というような事件を惹起(じゃっき)することにもなった。幕府は対ロシア関係上、辺地の安定を考え、1799年(寛政11)蝦夷地を幕領化し、東蝦夷地の請負制を廃止した。しかし1821年(文政4)には松前藩領に戻し、請負制も元どおりとなった。広大な蝦夷地の経営に商人の資本力が欠かせないという事情によるものであった。当時の各「場所」(60余か所)の運上金総計は二万二千両以上に上っていた。しかしこの制度のもとで虐待や天然痘の流行によってアイヌ人口は激減し、また出稼ぎの日本人漁民も高率の現物税負担その他の規制を受け、幕末期までにはこの制度が経済発展を担える制度でないことが明確になってきた。1869年(明治2)開拓使の布達で過渡的な状況を残しつつも廃止された。
[田端 宏]
『白山友正著『増訂 松前蝦夷地場所請負制度の研究』(1971・慶文堂書店)』