小アジア(読み)ショウアジア(その他表記)Asia Minor

翻訳|Asia Minor

デジタル大辞泉 「小アジア」の意味・読み・例文・類語

しょう‐アジア〔セウ‐〕【小アジア】

Asia Minor》アジアの西端にあり、トルコの大半部を占める、地中海黒海に挟まれた半島。アナトリア

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精選版 日本国語大辞典 「小アジア」の意味・読み・例文・類語

しょう‐アジアセウ‥【小アジア】

  1. ( アジアは[英語] Asia ) アジアの西端に突き出て、地中海、黒海、エーゲ海に囲まれる半島。ヨーロッパバルカン半島と対する。トルコ共和国の大部分を占めてアジア‐トルコとも呼ばれる。アジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸の接点にあたり、古来さまざまの文明が栄えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小アジア」の意味・わかりやすい解説

小アジア
しょうあじあ
Asia Minor

トルコ共和国のアジア領を構成する半島。北は黒海、南は地中海、西はエーゲ海に囲まれ、アジアの西端に位置する。古代ローマの地理学者ストラボンは、北部の町アミソス(現サムスン)と南部のタルソス川を境界として、その西側をアジア(半島)とよんだ。しかし、アジアという概念が東へと広がったため、この地は小アジアと改められた。小アジアはアナトリアAnatolia(トルコ語ではアナドル)ともよばれる。これは、ビザンティン(東ローマ)帝国の皇帝コンスタンティノス7世(在位913~959)が、アジアの領土を14のテマ(軍管区)に分けたとき、現在のエーゲ海に面する西海岸地方をギリシア語でアナトレー(日の出(い)ずる土地)と名づけたことによる。この名称は西欧の諸語でアナートリー、アナトリエン、アナトリアとよばれた。中世のイスラム圏の人々は「ビラード・アッルーム」(ローマ人の土地)とよんだ。

 小アジアの北部は黒海に沿って東西にポントゥス山脈が、南部には海岸線に平行してトロス山脈が走る。トロス山脈の東部に続くアンティ・トーラス山脈にはアラ・ダー(アララト火山)などの高い山々があり、ティグリス、ユーフラテス両大河もこの山脈中に源を発する。黒海とトロス山脈に挟まれた内陸部は標高600メートルを超すアナトリア高原である。海岸地帯は冬季に雨量の多い地中海性気候で、内陸部は年降水量が少なく、寒暖の差が大きい大陸性気候である。

[永田真知子]

歴史

小アジアはアジアから西へ向かう通路にあたり、古来、多くの国家が興亡した。最初の統一国家は、紀元前二千年紀にヒッタイト人が中部に建てたヒッタイト王国である。前1200年ごろには西部から中部を中心にフリギア人が王国を建て、この国は500年続いた。前1100年ごろ、ギリシアのアカイア人ドーリス人の侵入を受けたため、小アジアの南西部の海岸沿いに定着し、多くの植民都市をつくった。なかでも、南西部にできたリディア人の国は、東方へ通じる「王の道」とよばれる街道を開いたが、これは征服者の道ともなった。リディアは東方から侵入したペルシア人に滅ぼされた。前334年、マケドニアアレクサンドロスは大兵力を率いて小アジアに進出、小アジアを征服したが、彼の死後、部将間の争いで、この土地はセレウコス朝の領土となり、のちにカッパドキアポントスビティニアペルガモンの四つの王国ができた。ペルガモンがローマと同盟をしたため、ペルガモン王の死後、ローマの属州となり、紀元1世紀には他の王国もローマ領となった。5世紀末、西ローマ帝国が滅びると、ビザンティン帝国が古代ローマを継承してこの土地を支配した。

 10世紀に入ると、大セルジューク朝のトルコ人がビザンティン帝国の東部国境地帯を脅かした。1071年のマラズギルトの戦いに勝利したトルコ人は、小アジアに進出した。トルコ人は数十年にわたる征服活動ののち、小アジアのほぼ全域を手に入れ、コンヤを首都として、ルーム・セルジューク朝を開いた。しかし、13世紀中葉、この王朝はモンゴル軍の侵攻を受け、キョセダウの戦い(1234)の敗北後、モンゴルの支配下に甘んじ、14世紀初頭に滅びた。このころ、国境の警備に配置されていた君侯(ベイ)たちがそれぞれ独立して君侯国(ベイリク)を建てた。北西部にできたオスマン侯国もそのなかの一つで、始祖オスマンの父エルトゥルルはルーム・セルジューク朝の家臣であった。ソユトの封土はその地を防衛する任務とともに与えられた。2代目オルハンはブルサを首都として領土を拡大し、オスマン朝の基礎をつくった。

 13世紀後半から14世紀後半に、オスマン朝の軍隊は、周辺のキリスト教君侯の領土はもとより、バルカン半島(ルメリア)に進出して、スラブ民族も彼らの支配下に置いた。ルメリアの征服地を維持するため、小アジアの住民を移住させることも行われた。15世紀初頭のティームールの小アジア侵入はオスマン朝に打撃を与えたが、短期間に再建され、小アジアの諸侯国すべてがオスマン朝の領土となった。オスマン軍は1453年にビザンティン帝国を滅亡させた。16世紀にはティマール制とよばれる軍事封土制のもとで農業生産は増大し、商工業も栄えてオスマン帝国は最盛期を誇った。

 しかし、17、18世紀を通じてオスマン帝国は、経済的にも軍事的にも強力になったヨーロッパ諸国と対抗できず衰退に向かった。

 第一次世界大戦の敗北は、イギリス・フランス・イタリア軍の進駐を許し、小アジアは連合国による分割の危機にさらされた。さらにギリシア軍による西アナトリア地方占拠はトルコ人の民族意識を高揚させ、ムスタファ・ケマル(ケマル・アタチュルク)を中心に祖国解放闘争の道を開いた。そしてこれに勝利した革命軍は1923年、アンカラを首都とした新生トルコ共和国を誕生させた。

[永田真知子]

『D・ホサム著、護雅夫訳『トルコ人』(1983・みすず書房)』『松原正毅著『遊牧の世界』(中公新書)』『永田雄三・加賀谷寛・勝藤猛著『中東現代史Ⅰ』(1982・山川出版社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「小アジア」の意味・わかりやすい解説

小アジア (しょうアジア)
Asia Minor

アジアの西端に突出した半島で,アナトリア(トルコ語アナドルAnadolu)ともよばれる。古くアジアという地名は漠然と〈東方〉を意味し,最初は現在の小アジアの西部をさして用いられた。ヘロドトス以来,アジアが,少なくともペルシアまでを含めた地名として使われ始めると,これと区別するためにアナトリアをさす小アジアという呼称が生まれた。小アジアという地名が文献に初めて現れるのは,5世紀に著されたスペインの司教オロシウスの《世界史》であるといわれている。
アジア
執筆者:

小アジアでは,すでに前8000年ころから小規模灌漑による農耕文明が栄えていたが,初期の国家としては前17世紀のヒッタイト,前15世紀のミタンニがあげられる。前14世紀に最盛期を迎えたヒッタイトはフリュギア人の侵入に苦しめられ,前800年ころにはフリュギア王国,次いで初めて貨幣を鋳造したことで知られるリュディア王国が前680年ころ建国された。東方の強国アケメネス朝ペルシアが,前547年リュディアを滅ぼし,以後小アジア全域を支配した。前8~前7世紀ころにはギリシア人が植民市を沿岸地帯に数多く建設し,以後ギリシア文明の影響を受けた沿岸部と,昔ながらの農村社会を中心とする内陸部との違いが明瞭となった。自治・自由を理想とする沿岸部のギリシア系ポリスと専制支配をもくろむペルシアとの間で確執が続いた。

 前334年に始まるアレクサンドロス大王の東方遠征の結果,小アジアはペルシアの支配を脱してマケドニアの支配下に入ったが,王の死後,後継者争いを経てセレウコス朝シリアの領土に編入された。この混乱期に各地の有力者が独立し,カッパドキア,アルメニア,ビテュニア,ガラティア,フリュギア,キリキア,ピシディアなどの国や地方に分かれ始めた。セレウコス朝の衰退に伴ってこの傾向はいっそう顕著となり,前3世紀半ばに起こったペルガモン王国とポントス王国とが中でも最も強大となった。前2世紀半ば以降共和政ローマの力がしだいに小アジアにまで及び,前129年旧ペルガモン領に直轄領たる属州アシアが設けられた。一方の雄ポントス王国はローマに抵抗して戦ったが敗れ,前63年ビテュニア・ポントゥス州が設置された。帝政期に入って後1世紀までにはガラティア州,リュキア・パンフュリア州,カッパドキア州が属州として加えられ,小アジア全域はローマ帝国の支配圏内に組み込まれた。前286年ディオクレティアヌス帝の帝国東西分割によって小アジアは東ローマ帝国の中心となり,独自のビザンティン文化を築き上げた。
アナトリア
執筆者:

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旺文社世界史事典 三訂版 「小アジア」の解説

小アジア
しょうアジア
Asia Minor

黒海・地中海・エーゲ海に囲まれ,アジア西部に突出し,バルカン半島と相対する半島の地域。現在トルコ共和国領
この言葉は5世紀からローマ帝国のアジアにおけるプロヴィンキア(属州)の意で使われ,10世紀以後,アナトリアとも呼ばれた。古代以来,ヒッタイト・リディア・ギリシア植民市・アケメネス朝・アレクサンドロス領・ローマ帝国などの支配下にはいり,のちセルジューク朝・オスマン帝国領となった。

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百科事典マイペディア 「小アジア」の意味・わかりやすい解説

小アジア【しょうアジア】

アナトリア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「小アジア」の解説

小アジア(しょうアジア)

アナトリア

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世界大百科事典(旧版)内の小アジアの言及

【アナトリア】より

…トルコ語ではアナドルAnadolu。小アジアともよばれる。面積約52万5000km2,同国の人口の97%を占める。…

※「小アジア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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