改訂新版 世界大百科事典 「リュディア王国」の意味・わかりやすい解説
リュディア王国 (リュディアおうこく)
Lydia
アナトリア南西部,ヘルモス川,マイアンドロス川に挟まれた地域を中心に,インド・ヨーロッパ語系のリュディア人が建てた王国。都はヘルモス川流域のサルディスで,前8世紀後半から前6世紀中葉にかけて繁栄した。リュディア王国の初期の歴史,とくにフリュギア王国と並行していた時代については明確でない。フリュギア王国が前7世紀初頭,キンメリア人の侵入で滅亡後,リュディア王国は,オリエント世界とギリシア世界を結ぶ政治・経済・文化の中心地として栄えるようになった。前7世紀初頭,ヘラクレス家(ヘラクレイダイ)のカンダウレスKandaulēsから王位を奪して即位したメルムナス家(メルムナダイ)のギュゲス(在位,前685ころ-前657)は,アッシリア王アッシュールバニパルと結んでキンメリア人支配から脱し,安定した王国の地歩を築いた。その後,アルデュスArdys,サデュアッテスSadyattēsの治世を経て,アリュアッテスAlyattēsの時代に,ギリシア植民市を従属下に置き,最も隆盛な時期を迎えた。次王クロイソス(在位,前560ころ-前546ころ)は,交易に力を入れ,王国はさらに富強となったが,新興のペルシア王キュロス2世との戦いに敗れ,王都サルディスは陥落した。王国領はペルシアの属州となり,アレクサンドロス大王の征服ののちセレウコス朝シリア,ペルガモン王国の支配を経て,前2世紀にはローマ領となった。
サルディスの発掘調査は,プリンストン大学が1910年から14年まで,58年以降,ハーバード,コーネル両大学の共同調査としてハンフマンG.M.A.Hanfmannの指揮のもとに行われている。調査では,アクロポリスやアルテミス神殿,リュディア人の店舗跡と推定される〈青銅の家〉などが発掘された。また,クロイソス王の刻印のある金貨が発見されており,鋳造貨幣の起源といわれている。それまでの物品貨幣経済から,鋳造貨幣による経済は,交易の範囲をさらに拡大させ,東西文化の交流に拍車をかけた。なお,リュディア語は,サルディス出土のリュディア語とアラム語の2ヵ国語碑文などから,インド・ヨーロッパ語の一つであることはほぼ明確となっており,前2千年紀のルウィ語の流れとしてとらえる傾向もある。
執筆者:大村 幸弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報