日本歴史地名大系 「小坪村」の解説
小坪村
こつぼむら
- 神奈川県:逗子市
- 小坪村
西北部の丘陵性山地が
「吾妻鏡」寿永元年(一一八二)六月一日条に「武衛以御寵愛妾女、号亀前、招請于小中太光家小窪宅給」とあり、「小窪」は同年一二月一〇日条に「御寵女遷住于小中太光家小坪之宅」とあるので、当村をさすと思われる。それ以前の治承四年(一一八〇)八月一七日には畠山重忠と三浦義明が「由井・小坪の浦」でたたかっている(平家物語)。「吾妻鏡」建久四年(一一九三)七月一〇日条によれば、源頼朝がこの地に遊宴し、正治二年(一二〇〇)九月二日には「羽林令歴覧小壺海辺」と頼家も遊覧し、この時水練の達人朝夷名三郎義秀は素手で「生鮫」三尾を捕らえたとある。同書元仁元年(一二二四)一二月二六日条によれば、「東六浦、南小壺、西稲村、北山内」が鎌倉の四境であった。鎌倉時代最末期の元徳元年(一三二九)一二月二二日の長井道可(頼秀)譲状(毛利家文書)によれば、鎌倉のうち「はまのこつほ たくまの谷」を嫡子貞頼に譲り渡している。延文二年(一三五七)九月二七日および足利尊氏の百箇日にあたる翌三年八月一一日に、尊氏の家臣饗庭氏直より鎌倉円覚寺
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報