コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

小寺房治郎 こでら ふさじろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小寺房治郎 こでら-ふさじろう

1872*-1949 明治-昭和時代の化学者。
明治4年12月6日生まれ。33年設立当初の農商務省工業試験所にはいり,41年欧米に留学,ドイツでF.ハーバーらにまなぶ。大正13年東京工業試験所長。アンモニア合成を研究し,その工業化につくした。昭和24年12月26日死去。79歳。大阪出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

こてらふさじろう【小寺房治郎】

1870‐1949(明治3‐昭和24)
日本近代化学工業の祖。大阪府中河内郡大戸村の生れ。1896年帝国大学工科大学応用化学科卒業,ただちに農商務技師となり,地質調査所勤務。1900年農商務省(のちの商工省)工業試験所成立とともに,兼ねてその創設業務に当たり,01年同所専任技師,06年第1部長,08年第5部長に進み,電気化学工業研究のため同年からアメリカ,イギリス,ドイツへ2ヵ年留学,ことにドイツで空中窒素固定法の発明者F.ハーバーに師事,15年工学博士,18年新設の臨時窒素研究所所長,24年高松豊吉の後をうけ第3代工業試験所所長となった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小寺房治郎
こてらふさじろう
(1870―1949)

化学技術者。明治3年大阪に生まれる。三高を経て、1896年(明治29)帝国大学工科大学応用化学科を卒業。同年、農商務省技師となり、地質調査所に勤務。1900年(明治33)東京工業試験所設立とともに同所技師となった。1908~1910年電気化学工業研究のため、アメリカ、イギリス、ドイツに留学し、ドイツではアンモニア合成で有名なハーバーの指導を受けた。1915年(大正4)工学博士の学位を取得。1918年臨時窒素研究所(1928年には東京工業試験所第六部に併合)の設立と同時に所長となり、アンモニア合成を日本で工業化することに大きな貢献をした。1924年東京工業試験所の第3代所長となり、16年間その地位を務めた。彼のアンモニア合成技術における基礎研究、工業化研究のなかで多数の化学技術者が輩出した。1919、1920年工業化学会の会長を務めた。[奥山修平]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の小寺房治郎の言及

【小寺房治郎】より

…日本近代化学工業の祖。大阪府中河内郡大戸村の生れ。1896年帝国大学工科大学応用化学科卒業,ただちに農商務技師となり,地質調査所勤務。1900年農商務省(のちの商工省)工業試験所成立とともに,兼ねてその創設業務に当たり,01年同所専任技師,06年第1部長,08年第5部長に進み,電気化学工業研究のため同年からアメリカ,イギリス,ドイツへ2ヵ年留学,ことにドイツで空中窒素固定法の発明者F.ハーバーに師事,15年工学博士,18年新設の臨時窒素研究所所長,24年高松豊吉の後をうけ第3代工業試験所所長となった。…

※「小寺房治郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

小寺房治郎の関連キーワード昭和時代

今日のキーワード

だまし面接

企業が面談や懇談会と称して就職活動中の学生を呼び出し、実質的には学生を選考する偽装面接のこと。2016年卒業の大学生に対する選考活動の開始時期を、従来の4月1日から8月1日以降へと後ろ倒しする主旨の「...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android