小川市 (おがわのいち)
日本古代の市の一つ。《日本霊異記》中巻4にみえる説話によってその存在が知られる。すなわち,三野(美濃)国片県(かたかた)郡の小川市に三野狐(みののきつね)という大力の女が住み,往還の商人を迫害し物資を強奪していた。一方,尾張国愛智郡片輪(かたわ)里(現,名古屋市中区古渡町付近)にすむ道場法師の孫という強力の女はこれを聞き,蛤50斛,熊葛(くまつづら)の練韃(ねりむち)20段を船に積んで小川市にのりつけ,三野狐を打ちこらしめて退散させ,市の人を安心させたという。以上のすべてを史実とはなしえないが,8~9世紀前半ごろの尾張美濃地方では船舶による河川水運が盛んで,小川市はその水運網の一結節点として船舶が往還し商人でにぎわっていたと推測される。その比定地には,岐阜市会渡の一日市場(長良川,伊自良川合流点)付近や同市黒野の古市場(伊自良川沿い)付近にあてる説が有力だが,長良川の旧流路沿いに求めるべきであろう。
執筆者:栄原 永遠男
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小川市【おがわのいち】
古代の市の一つで,《日本霊異記(にほんりょういき)》中巻に〈少川市〉,《今昔物語集》巻23には〈小川市〉とみえる。《日本霊異記》によると,三野国(美濃国)方県(かたかた)郡の小川市に三野狐(みののきつね)という大力の女が住み,往き来する商人から物資を強奪していた。尾張国愛智(あいち)郡方輪(かたわ)里(現名古屋市中区古渡付近)に住む道場法師の孫という強力の女がこれを聞き,蛤50斛と熊葛(くまつづら)の練鞭(ねりむち)20段を船に積んで小川市にのりつけ,三野狐をこらしめて退散させたという。尾張・美濃地方では8世紀から9世紀前半ころにはすでに河川を利用した水運が盛んで,小川市はその結節点として重視され,賑わっていたものと考えられる。比定地として現岐阜市の合渡(ごうど),長良,古市場などの説がある。
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小川市
おがわのいち
日本古代の市。『日本霊異記(にほんりょういき)』中巻第4話によると、美濃(みの)国(岐阜県)片県(かたかた)郡内に存在した市で、8世紀~9世紀前半ごろに尾張(おわり)、美濃地方で展開していた船舶による河川水運網上の要地の一つとして、船舶が往還し商人でにぎわっていたと考えられる。その比定地としては、岐阜市合渡(ごうど)の一日市場(ひといちば)付近と同市黒野の古市場付近の2か所が有力だが、小川市の水運上に占める位置からみて、長良(ながら)川の旧流路沿いの前者、もしくはその近辺とするのが妥当であろう。
[栄原永遠男]
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世界大百科事典(旧版)内の小川市の言及
【市】より
…これに対して〈餌香市〉〈阿斗桑市〉は,河内の交通の要地に立地した市であるが,河内以外にも《日本書紀》天武1年(672)7月壬子条にみえる近江の〈粟津市〉のごとく各地に市が存在していたとみてよい。 8世紀以降の奈良時代~平安初期においても,上述の市は存在し続けるが,それ以外にも《万葉集》に駿河国の〈安倍市〉,《日本霊異記》に美濃国の〈[小川市]〉,備後国の〈[深津市]〉,大和国の〈内(宇智)の市〉,紀伊国の〈市〉などが見える。このほか《風土記》にも商人の集まる場所が見えるから,各地に小規模な市が数多く存在したのであろう。…
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