小柳町(読み)こやなぎちよう

日本歴史地名大系 「小柳町」の解説

小柳町
こやなぎちよう

下京区西洞院通五条下ル

南北に通る西洞院にしのとういん(旧西洞院大路)を挟む両側町で、町の中央を東西楊梅ようばい通が通る。町の北側は現五条通にも面する。

平安京の条坊では左京六条二坊三保一三町東北隅、同一四町東側と同三坊二保三町西北隅、同四町西北隅、平安中期以降は町のほぼ中央が楊梅西洞院大路にあたる。院政期、当町北側付近には右衛門佐藤原宗保の邸宅があった。「本朝世紀」康治二年(一一四三)四月一六日条に焼亡記事がみえる。

一方、当町中央付近には、「山槐記」の筆者中山忠親の邸宅があった。同書治承三年(一一七九)二月二八日条に、「今日壊却庁屋施入因幡堂、去月十九日辞大理職、其後即可壊之処、不宿本所楊梅西洞院、過四十二日、仍其忌移三条亭之間、有王相忌、連々相陪不宿本所、去夜所宿楊梅也」という記事がみえる。

また、当町の西南は、後白河法皇の院御所六条殿ろくじようどのの一部にあたっていた(拾芥抄)


小柳町
こやなぎちよう

[現在地名]前橋住吉町すみよしちよう二丁目

近世の町人町広瀬ひろせ河岸こま沢新ざわしん町を明治六年(一八七三)合併して小柳町と改称した。広瀬川に沿って東西に広瀬河岸があり、北に向かって細ヶ沢新町がある。細ヶ沢新町の西に並行して細ヶ沢町がある。北は清王寺せいおうじ村。貞享元年(一六八四)の「前橋風土記」に広瀬河岸について「広瀬川の北の水傍に在り。道斜に東西に通ず。而して民は川流に随いて其の居を為す」とあり、細沢新町には「府城の東北に在り道東西に通ず」とある。嘉永五年(一八五二)の広瀬川舟運の再興願(「下川淵村誌」所収)によれば、広瀬河岸は正保二年(一六四五)に開設されたとあるので、この頃に開けたのであろう。


小柳町
おやなぎまち

[現在地名]金沢市野町のまち二丁目

野町通に直交する両側町で地子町。野町三―五丁目の北西にあり、石坂角場いつさかかくばおよび石坂与力いつさかよりき町に連なる。町名はかつてこの辺りが荒れ地であった頃、柳の木があったことによるともいわれるが不詳(金沢古蹟志)


小柳町
こやなぎまち

[現在地名]松本市大手おおて四丁目

大名だいみよう町の東の町で、北に地蔵清水じぞうしみず町と大柳おおやなぎ町がある。幕末、町の東南藩主の別荘辰巳たつみ御殿が営まれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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