日本歴史地名大系 「小柳町」の解説
小柳町
こやなぎちよう
南北に通る
平安京の条坊では左京六条二坊三保一三町東北隅、同一四町東側と同三坊二保三町西北隅、同四町西北隅、平安中期以降は町のほぼ中央が楊梅西洞院大路にあたる。院政期、当町北側付近には右衛門佐藤原宗保の邸宅があった。「本朝世紀」康治二年(一一四三)四月一六日条に焼亡記事がみえる。
一方、当町中央付近には、「山槐記」の筆者中山忠親の邸宅があった。同書治承三年(一一七九)二月二八日条に、「今日壊却庁屋施入因幡堂、去月十九日辞大理職、其後即可壊之処、不宿本所
小柳町
こやなぎちよう
小柳町
おやなぎまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報