通常は年若い僧をさす語だが、別に中世から近世にかけ、禁裏(きんり)御所の庭園の清掃、植樹、庭木の手入れなどに使役された賤民をいう。中世末には御庭者(おにわもの)、河原者と表記された例があり、荼毘(だび)のことにもかかわっている。江戸時代は、山城国の天部(あまべ)・蓮台野(れんだいの)両村から務め、7石の扶持を受けた。一時召上げとなり大和国の7か所で務めたが、18世紀後半には両村に戻された。正月・八朔(はっさく)には麻裃(あさかみしも)を着て御紋つきの箱提灯を持ち、禁裏へ藁箒(わらぼうき)を献上した。別に禁裏に筆を献上する筆師も小法師といった。
[朝尾直弘]
『辻ミチ子著「小法師」(京都部落史研究所編『近世の民衆と芸能』所収・1989・阿吽社)』