小藪村(読み)こやぶむら

日本歴史地名大系 「小藪村」の解説

小藪村
こやぶむら

[現在地名]羽島市桑原町小藪くわばらちようこやぶ

午南うしみなみ新田大須おおす村の南、長良・木曾両川の合流点北側に位置する桑原輪中内の村。中世には長岡庄に含まれたとみられ、正中元年(一三二四)二月二〇日の沙弥信悟寄進状など宝生院文書にみえる長岡庄河東大藪おおやぶ郷を当地に比定する考えもある(→長岡庄・堀尾庄。ただし通説はこの大藪郷を現安八あんぱち輪之内わのうち町大藪に比定し、当地の小藪は大藪に対応して生じた地名という。

慶長郷帳に村名がみえ、高五四七石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では平岡頼資(徳野藩)領。


小藪村
こやぶむら

[現在地名]浜松市富塚町とみつかちよう

富塚村の南、佐鳴さなる湖の東岸に位置。東は蜆塚しじみつか村。南は入野いりの村。正保(一六四四―四八)頃に富塚村から分村して成立したという(遠江国風土記伝)。延宝五年(一六七七)の浜松町村家数高間尺帳に新小藪しんこやぶとみえ、高一九石余、家数四。元禄郷帳には富塚村枝郷と注記して小藪村とみえ、高二五石余。国立史料館本元禄郷帳・旧高旧領取調帳では浜松藩領。


小藪村
こやぶむら

[現在地名]八代市二見赤松ふたみあかまつ

大平おおひら村の南に位置する。元文(一七三六―四一)頃の「肥集録」には二見村小村と記されている。葦北あしきた郡田浦手永に属し、「国誌」に高二七石九斗余とある。宝暦(一七五一―六四)頃の肥後国中寺社御家人名附では二見村懸りの村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android