山内 みな
ヤマノウチ ミナ
大正・昭和期の社会運動家
- 生年
- 明治33(1900)年11月8日
- 没年
- 平成2(1990)年10月21日
- 出生地
- 宮城県本吉郡歌津村(現・歌津町)
- 旧姓(旧名)
- 橘
- 学歴〔年〕
- 小学校〔大正2年〕卒
- 経歴
- 小学校卒業後、東京モスリン工場に女工として就職。大正3年の争議発生以来、次第に労働運動、婦人運動へ。のち退職し、新婦人協会の創立や労働争議の指導に参加。総同盟大阪連合会婦人部副部長、関東婦人連盟執行委員など歴任。結婚して一時活動から遠ざかったが、戦後は洋裁店を経営しながら原水爆禁止運動、日中友好運動などを続けた。「山内みな自伝」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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山内みな (やまのうちみな)
生没年:1900-90(明治33-平成2)
婦人運動家。宮城県に生まれ,小学校卒業後上京して,東京モスリンの女工になった。1914年の東モス争議を経て友愛会に入会。19年1月には女工の待遇改善を訴える演説をして評判になり,同年8月の大会で野村つちのとともに初の女性理事に選出された。同年末東モスを解雇されてからは,新婦人協会,醒光婦人会,評議会婦人部,関東婦人同盟などに参加し,婦人労働者の解放をめざして闘った。
執筆者:江刺 昭子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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山内みな やまのうち-みな
1900-1990 大正-昭和時代の社会運動家。
明治33年11月8日生まれ。大正2年東京モスリンに就職。翌年の争議をきっかけに友愛会に入会,8年初の女性理事となる。のち,新婦人協会,醒光婦人会,関東婦人同盟に所属して活動。戦後は原水禁運動,日中友好運動などに参加した。平成2年10月21日死去。89歳。宮城県出身。著作に「山内みな自伝」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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山内 みな (やまうち みな)
生年月日:1900年11月8日
大正時代;昭和時代の社会運動家
1990年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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