山内以九士(読み)ヤマノウチイクジ

デジタル大辞泉 「山内以九士」の意味・読み・例文・類語

やまのうち‐いくじ【山内以九士】

[1902~1972]プロ野球公式記録員。島根の生まれ。学生時代から野球の記録・規則に携わり、昭和15年(1940)広瀬謙三とともに編集した「日本野球規則」がプロ野球で採用された。昭和25年(1950)パリーグの記録部長。防御率自責点などの用語を発案した。

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20世紀日本人名事典 「山内以九士」の解説

山内 以九士
ヤマノウチ イクジ

昭和期の野球記録研究家



生年
明治35(1902)年3月31日

没年
昭和47(1972)年6月3日

出身地
島根県松江市

本名
山内 育二

学歴〔年〕
慶応義塾大学卒

経歴
慶大時代、当時野球部監督でルール研究の草分けだった直木松太郎私淑。昭和11年アメリカの改正ルールによる「最新野球規則書」を手がけ、15年広瀬謙三と共同編纂した「日本野球規則」がプロ野球で採用され、規則委員となる。17年日本野球の公式記録員、23年規則委員長、25年よりパリーグ記録部長を務めた。防禦率、自責点などの記録用語の考案、各種記録の整備集大成、打率早見表の完成など、プロ野球の裏方として多くの功績を残した。60年野球殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山内以九士」の解説

山内以九士 やまのうち-いくじ

1902-1972 昭和時代のプロ野球公式記録員。
明治35年3月31日生まれ。慶大在学中,野球部長直木松太郎について野球ルールを研究。昭和16年広瀬謙三と共同編集した「日本野球規則」がプロ野球で採用され,17年公式記録員となる。23年規則委員長,25年パリーグ記録部長。打率早見表を創案し,防御率,自責点などの用語を考案した。昭和47年6月3日死去。70歳。60年野球殿堂入り。島根県出身。本名は育二。

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