広瀬謙三(読み)ヒロセケンゾウ

デジタル大辞泉 「広瀬謙三」の意味・読み・例文・類語

ひろせ‐けんぞう〔‐ケンザウ〕【広瀬謙三】

[1895~1970]新聞記者・野球人。愛知の生まれ。国民新聞時事新報などの運動部記者として、多くのスポーツ記事を執筆。昭和11年(1936)日本職業野球連盟結成後初の公式記録員となり、記録・集計基礎を築いた。

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20世紀日本人名事典 「広瀬謙三」の解説

広瀬 謙三
ヒロセ ケンゾウ

昭和期のスポーツ研究家



生年
明治28(1895)年4月15日

没年
昭和45(1970)年11月17日

出生地
愛知県名古屋市

経歴
日本のプロ野球公式記録員第1号。13歳の時野球部のマネジャーだった兄に記録のつけ方を教えられ、大正4年19歳で鹿児島から上京、14年「野球界」誌上で運動記者としてのスタートを切った。昭和11年時事新報に入社。野球をはじめ各競技の取材批評に活躍するとともにスポーツの指導普及に貢献、同年プロ野球が誕生した際、日本職業野球連盟から初の公式記録員を依託された。スターティングメンバー打率審判など現在のプロ野球公式記録の土台を作った功労者。34年野球体育博物館(野球殿堂)初代主事に就任、スポーツの歴史、記録、文献資料の蒐集に大きな成果を残した。48年野球殿堂入り。「日本の野球史」をはじめ多数の著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広瀬謙三」の解説

広瀬謙三 ひろせ-けんぞう

1895-1970 昭和時代の野球人。
明治28年4月15日生まれ。時事新報の運動部記者などをへて,昭和12年日本職業野球連盟初の公式記録員となる。34年開設の野球体育博物館(野球殿堂)の初代主事。昭和45年11月17日死去。75歳。48年野球殿堂入り。愛知県出身著作に「日本の野球史」など。

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