山村 舞扇斎(2代目)
ヤマムラ ブセンサイ
- 職業
- 舞踊家
- 専門
- 上方舞
- 肩書
- 関西舞踊協会副会長
- 本名
- 中島 若子
- 別名
- 号=吾斗(ゴト),前名=山村 若(ヤマムラ ワカ)
- 生年月日
- 明治2年 2月5日
- 出生地
- 大坂(大阪府)
- 経歴
- 祖母は上方舞山村流の始祖・初代山村舞扇斎(山村友五郎)の養女である山村登久。自身も山村流の舞踊家となり、山村若を名乗る。主に大阪を中心に活動し、歌舞伎・文楽の振付けから芸者の指導まで幅広く手がけた。昭和16年関西舞踊協会の設立に参画し、その副会長に就任。さらに17年には義理の曽祖父の名である山村舞扇斎を襲名し、山村流の3代目宗家となった。
- 没年月日
- 昭和17年 10月26日 (1942年)
- 家族
- 祖母=山村 登久(舞踊家)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
Sponserd by 
山村 舞扇斎(2代目)
ヤマムラ ブセンサイ
明治〜昭和期の舞踊家 関西舞踊協会副会長。
- 生年
- 明治2年2月5日(1869年)
- 没年
- 昭和17(1942)年10月26日
- 出生地
- 大坂(現・大阪府)
- 本名
- 中島 若子
- 経歴
- 祖母は上方舞山村流の始祖・初代山村舞扇斎(山村友五郎)の養女である山村登久。自身も山村流の舞踊家となり、山村若を名乗る。主に大阪を中心に活動し、歌舞伎・文楽の振り付けから芸者の指導まで幅広く手がけた。昭和16年関西舞踊協会の設立に参画し、その副会長に就任。さらに17年には義理の曽祖父の名である山村舞扇斎を襲名し、山村流の3代目宗家となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
山村舞扇斎(2代) やまむら-ぶせんさい
1869-1942 明治-昭和時代前期の舞踊家。
明治2年2月5日生まれ。山村登久(とく)の孫。山村若を名のり,歌舞伎・文楽(ぶんらく)の振り付け,大阪南地五花街の芸妓(げいぎ)の指導などもおこなう。昭和16年関西舞踊協会の設立に参加し副会長。17年舞扇斎を襲名,上方舞山村流3代宗家となった。昭和17年10月26日死去。74歳。大阪出身。本名は中島若子。号は吾斗。
山村舞扇斎(初代) やまむら-ぶせんさい
1781-1845* 江戸時代後期の振付師。
天明元年生まれ。初代山村友右衛門の門弟。はじめ山村友五郎(初代)の名で役者をつとめる。のち3代中村歌右衛門,2代中村富十郎らの所作事(舞踊劇)を振り付けし,京坂随一といわれた。上方舞山村流の祖。天保(てんぽう)15年11月29日死去。64歳。大坂出身。俳名は吾斗(ごと)。作品に「風流釣狐」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 