山梨岡神社(読み)やまなしおかじんじや

日本歴史地名大系 「山梨岡神社」の解説

山梨岡神社
やまなしおかじんじや

[現在地名]春日居町鎮目

大蔵経寺だいぞうきようじ(七一五・六メートル)の南東麓、平等びようどう川右岸にある。旧郷社。祭神は大山祇命・高神・別雷神。摂社に東屋あずまや(四阿宮)がある。「延喜式」神名帳に記載される山梨郡「山梨岡ヤマナシヲカノ神社」が当社と伝えるが、不詳。「社記」によれば、崇神天皇の時代に国内で疫病が流行し万民多数が死亡、疫病退散を祈念するため日光山高千穂峰に大山祇命・高神・別雷神の三神を祀った。さらに成務天皇の頃になって郡境が定められた際、山麓に梨の木が繁茂していたのを伐採して神戸を移し、ここを甲斐嶺山梨岡と名付けたのが社名の由緒であるという。また当社が山梨郡の郡名の由緒になったといわれ、境内に残る郡石が郡境の標示石と伝える。当社は背後にそびえる御室みむろ山を神社の古社地とし、山宮としており、この山は能因法師の詠歌「かひがねにさきにけらしなあしびきのやまなしをかの山なしの花」(夫木抄)に詠われた「やまなしをか」であるという。この山には毎年三月・一一月の初午の日に神輿が神幸し、「天下泰平・国城堅固之例式」が執行された(社記)。国に災害がある際にはその前兆として御室山が鳴動するという(甲斐国志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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