日本歴史地名大系 「山滝寺跡」の解説 山滝寺跡さんりゆうじあと 京都府:綴喜郡宇治田原町荒木村山滝寺跡[現在地名]宇治田原町荒木滋賀県の信楽(しがらき)へ抜ける信楽街道の北にあった寺。跡地には大御(おおみ)堂とよばれる小堂が建つ。三滝寺とも記された。縁起(綴喜郡誌)によれば、荒木(あらき)の地の北には三〇余町にわたり峰が連なり、谷水が湧き出て滝となっており、あるとき木樵の老翁が山中で観音を感得したともいうが、別伝では宝亀二年(七七一)に奈良興福寺の善珠により、この地に人々の目を驚かす大寺院が建立され、光土山日王院山滝寺と名付けられたという。また天智天皇の第七子施基皇子(田原天皇)の子白壁王が即位(光仁天皇)したとき父の霊を慰めるために建立したとも、施基皇子の第二子湯原王の発願ともいわれ、創建についての正確なところは不詳である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by