改訂新版 世界大百科事典 「木樵」の意味・わかりやすい解説
木樵/樵 (きこり)
日本では,杣(そま)と同義に用いられることがある。杣という語はもともと木を植え付けて材木をとる山そのもの,すなわち杣山(そまやま)を意味したが,後にはそこから採出した用材である杣木(そまぎ),その伐採の杣取(そまどり)・杣立(そまだて)や造材の杣造(そまづくり)から,さらに河川の運材作業の杣下(そまくだし)を含め,それらのことをひろく生業とする杣人(そまびと)/(そまうど)の称ともなった。とりわけ,杣取・杣立の山林の木を切ること,また,それを職とするものをきこりというが,杣人と樵夫(きこり)が同義語として用いられることもないではない。正倉院文書には,8世紀に東大寺造営料材補給田として施入をみた伊賀国の玉滝杣,板蠅杣,黒田杣や,石山寺造営用材を採出した近江国の甲賀杣,田上杣,三尾杣などについて記したものがある。おそらくこのころ諸地方で公領私領を問わず,杣山が起立され開発が進んだと考えられる。そして,これら造寺のための採材現地には山作所(さんさくしよ)が設けられ,渡来技術者によるかなり高度な木工,土木,鉄工その他の技術が導入されていた。杣技術はとくに,その木工の技術に深くかかわったものである。しかし,山作所の解体にともなって渡来技術者も諸地方に分散し,彼らの将来した木工,土木,鉄工などの諸技術は,その後未分化のまま各工人間に継承され,それは杣人の場合も例外でなかったと思われる。そうした工人を中世以来,外財(げざい)と呼んだのであるが,このことは諸職としての杣人を考えるうえでたいせつな視点である。近世になると杣人の集団は,多く先山(さきやま)と木挽(こびき)に区分されるようになる。なかには近江甲賀の杣人のように,大きな組織をもって禁裏,幕府の所要に義務を負うかわり,その反対給付として職の独占と諸役免除の特権を付与されたものもいた。その仲間には伐材の作法,道具の取扱いに特異な古習を伝承した。たとえば魔よけにする斧の7個の刻み目の入れ方や,たたる木の形の見分け方,山の神の災いの避け方など注目すべき民間知識や俗信が残存した。現代は機械が普及して,杣人は先山だけが存続する。
→木挽
執筆者:橋本 鉄男
ヨーロッパ
中世初期のヨーロッパは地中海地域を除くと大部分が深い森におおわれていた。森は聖域であり,精霊が住み同時に有用な鳥獣や食糧や材木を供給してくれるところだった。きこりという名称も職業もない時代から実際には家屋を作り,舟を製造し,まきをうるため森に入り木を切り加工した人々がいたことは容易に想像できる。しかしきこりについての研究は少なく,片々たる資料からきこり像をうかがうと,きこりの伐採と運搬の仕事は非常に苦しいもので,ときには何週間も粗末な山小屋で過ごさなければならない孤独な職業だった。今日でもきこりの約半数は事故やけがで傷害者となるという。昔は領主や国王にやとわれ退職後はわずかながら年金のつく者と,副業として賃労働できこりを行う山地の農民とに分かれていた。民謡やいくつかの遊戯が知られているが,苦しい労働の息抜きと同時に肉体の鍛練にも役だった。食物は,オーストリアのザルツブルク地方の例では脂肪の多いだんご,オートミール,卵入りパンなどがとられた。道具はのこぎり,手斧,まさかり,皮はぎ,根掘りぐわなどだった。きこりの祝日は1月22日の聖ウィンケンティウスVincentiusの日で,この日に教会にもうでる。聖ウォルフガングWolfgangは開墾ときこりの守護聖人でもある。きこりが木を切るときに幹に十字をしるしたり,木にゆるしを請う習慣もあった。
執筆者:谷口 幸男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報