プロ野球選手(投手:右投右打)、監督。7月29日、秋田県生まれ。能代(のしろ)高時代に三塁手から投手に転向し、富士製鉄(現、日本製鉄)釜石(かまいし)に入社してから本格的なアンダースローとなった。ドラフト1位で1969年(昭和44)に阪急ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)に入団。1970年に10勝をマークすると1986年まで17年連続2桁(けた)勝利をあげ、1975年からのリーグ4連覇、3年連続日本一にエースとして貢献した。足を振り上げてから地面に潜り込むようにして踏み出す「サブマリン投法」から繰り出される手元で浮き上がるような速球と、打者の膝元(ひざもと)で変化するシンカーを武器に相手打線を翻弄(ほんろう)した。1976年から3年連続最優秀選手(MVP)を受賞、1977年には読売ジャイアンツ(巨人)との日本シリーズで2勝してシリーズMVPにも選ばれた。晩年は制球力で粘り強く投げるスタイルにかえて勝ち星を重ね、1988年に引退した。1975年からの12年連続開幕投手はプロ野球記録、通算284勝は歴代7位(2023年時点)。2002(平成14)から2003年9月まで中日ドラゴンズの監督を務めた。
[出村義和]
選手としての20年間の通算成績は、登板試合654、投球回3865、284勝166敗、防御率3.18、奪三振2058、完投283、完封31。獲得したおもなタイトルは、最多勝利3回、最高勝率4回、最優秀防御率2回、最優秀選手(MVP)3回、ベストナイン5回、ダイヤモンドグラブ賞(現、ゴールデン・グラブ賞)5回。監督としての通算成績(2年)は、260試合、128勝127敗5分け、勝率5割2厘。2006年(平成18)野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
『永谷脩著『120キロの快速球』(1989・文芸春秋)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新