山田五郎(読み)ヤマダ ゴロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山田五郎」の解説

山田 五郎
ヤマダ ゴロウ


職業
舞踊家

生年月日
明治40年 1月22日

出生地
東京

経歴
金春流桜間金太郎に能楽を学んだが、大正13年築地小劇場で岩村和雄にリトミックを習ってダンスに開眼。米国に渡り伊藤道郎に出会ったのが舞踊家になる機縁となった。当時能をもとにした「猩々」を創作。のちパリに滞在、藤田嗣治の勧めでオデオン座岡本綺堂「修善寺物語」に名優ジェミエとともに出演した。昭和3年帰国、音楽家とのジョイントによる公演で「猩々」「ピエロ」「ダガー・ダンス」「扇の舞」などを披露。戦後高田せい子高田山田舞踊団を結成、「湖底の夢」「石像と花と女」「海のバラード」などを共同振付けした。また庄司裕に「聖家族」の振付けを委嘱。全日本舞踊協会(現代舞踊協会の前身)理事長を経て、副会長を務めた。

受賞
紫綬褒章〔昭和43年〕

没年月日
昭和43年 12月21日 (1968年)

家族
長女=山田 奈々子(舞踊家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「山田五郎」の解説

山田 五郎
ヤマダ ゴロウ

昭和期の舞踊家



生年
明治40(1907)年1月22日

没年
昭和43(1968)年12月21日

出生地
東京

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和43年〕

経歴
金春流桜間金太郎に能楽を学んだが、大正13年築地小劇場で岩村和雄にリトミックを習ってダンスに開眼。米国に渡り伊藤道郎に出会ったのが舞踊家になる機縁となった。当時能をもとにした「猩々」を創作。のちパリに滞在、藤田嗣治の勧めでオデオン座の岡本綺堂「修善寺物語」に名優ジェミエとともに出演した。昭和3年帰国、音楽家とのジョイントによる公演で「猩々」「ピエロ」「ダガー・ダンス」「扇の舞」などを披露。戦後は高田せい子と高田・山田舞踊団を結成、「湖底の夢」「石像と花と女」「海のバラード」などを共同振付けした。また庄司裕に「聖家族」の振付けを委嘱。全日本舞踊協会(現代舞踊協会の前身)理事長を経て、副会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田五郎」の解説

山田五郎 やまだ-ごろう

1907-1968 昭和時代の舞踊家。
明治40年1月22日生まれ。岩村和雄,伊藤道郎にまなび,フランスのオデオン座に出演。昭和3年帰国し,能をとりいれた「猩々」などを演じる。戦後は高田せい子と高田・山田舞踊団を結成,「湖底の夢」「海のバラード」などを共同で振り付けた。昭和43年12月21日死去。61歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android