改訂新版 世界大百科事典 「山田猪三郎」の意味・わかりやすい解説
山田猪三郎 (やまだいさぶろう)
生没年:1863-1913(文久3-大正2)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
(村上陽一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…日本で生まれた広告媒体で,名前もad(広告)とballoon(気球)を組み合わせた日本製の造語。日本における気球の実用化は,明治時代に山田猪三郎によって行われ,軍事偵察,高層気象観測,広告などに使われた。1913年には中山太陽堂,次いでレート化粧品が広告に利用している。…
…
[日本における発達]
日本の航空活動は欧米諸国より遅れてスタートし,1910年,徳川好敏(1884‐1963),日野熊蔵(1878‐1946)が,それぞれフランスとドイツから輸入した飛行機で初飛行したのに始まる。一方では,同年山田猪三郎製作の飛行船が初飛行し,11年奈良原三次製作の飛行機が初飛行するなどの活躍もあったが,その技術水準は欧米に及ばず,結局は先進国からの技術導入,ライセンス生産によって,日本の航空工業は始まった。このような状態を続けている間にしだいに独自の技術が育成され,35年ころには陸海軍の各種の軍用機で,欧米の水準に劣らぬ性能をもち,しかも操縦性が優れているなど,日本独特の長所をもった国産機が次々に出現した。…
…アメリカでは浮揚ガスとしては危険な水素の代りに自国でのみ産出するヘリウムを用いたのが特徴であった。 日本では1910年,山田猪三郎が作った国産初の軟式飛行船が野外飛行に成功し,その後も輸入,国産の軟式飛行船および半硬式飛行船が軍で使用されたものの,本格的な発達はみずに終わった。 公共輸送機関としての飛行船の活躍は,主として悪天候によるいくつかの事故が続いた後,37年アメリカのニュージャージー州のレークハーストで起こったLZ129(ヒンデンブルク号)の爆発炎上事故で事実上そのとどめを刺された。…
※「山田猪三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新