翻訳|airship
静的な浮揚力、つまり水素やヘリウムなど空気より軽いガスを袋に詰め、浮力によって空中に浮揚する軽航空機(LTA)の一種。同じ軽航空機の気球と違って、空中を自由に航行できるように推進装置と舵(かじ)取り装置とを備えている。
[落合一夫]
飛行船は航空機の発展の一過程で気球から発達したが、気球とともに歴史は古く、19世紀の初頭にはすでにその構想がみられる。しかし飛行機と同じように、初めは適当な原動機がなく人力や蒸気エンジン、内燃エンジン、あるいは電気モーターなど各種の動力が用いられたが、どれも出力は小さく耐久性もなかったので、単に空中を移動できる程度でとうてい実用にはならなかった。そのなかでブラジル人サントス・ドゥモンは1898年から相次いで14隻の飛行船をつくり、飛行船の大型化と性能向上に大きな功績をあげた。1900年7月2日、ドイツ人ツェッペリンは初めて実用に適する飛行船を完成し、その後失敗を重ねながら改良を進め、10年6月22日、ドイツ国内のフリードリヒスハーフェンとシュトゥットガルトの間約480キロメートルを、20人の乗客を乗せての航空輸送が始められた。一方、このころの飛行機はまだ20人の乗客を乗せるどころではなく、なんとか飛べるという状態で、その違いは大きかった。これは1903年がライト兄弟による飛行機の初飛行、09年がブレリオの英仏海峡初横断飛行という事実と比較しても明らかである。
第一次世界大戦が始まると、ドイツの飛行船は大きな搭載量を利用して爆撃機として使用され、未発達の飛行機にかわってイギリスを空襲し猛威を振るった。しかし、行動が鈍重で燃えやすい水素ガスを使用していることや、建造に時間がかかることなどから、飛行機の発達につれて損害が大きくなり、1917年には飛行船による爆撃は中止されるに至った。戦後は民間航空輸送に使われ、設計や工作技術、材料の進歩に伴って大型の飛行船がつくられるようになり、搭載量は増し、航続性能や快適性も向上して、まだ航続距離が短く、搭載量も少なくて快適性も低い飛行機をしり目に、大西洋横断などの長距離の定期輸送に従事し、また世界一周飛行を行うなどその実力を示した。戦勝国となったアメリカ、イギリスなどでは、その優れた航続性能と搭載量に注目し、海軍の哨戒(しょうかい)用機として検討を始め、日本でもその研究が行われた。しかし、なにぶんにも風に弱く、速度が遅くて行動が鈍重であること、大きさのわりに搭載量が少なくて、地上での取扱いに多くの人手を要し施設も大規模になること、また生産に手間がかかり大量生産ができないこと、さらにもっとも重要なこととして、浮揚ガスとして安全性の高い(そのかわり比重はやや重くなり搭載量は減少する)ヘリウムガスがアメリカでしか大量に入手できないこと、などの理由で、多くはつくられなかった。
1937年5月6日、アメリカとの間の定期輸送を行っていた世界最大の豪華飛行船、ドイツのヒンデンブルク号が、アメリカのレーク・ハーストに着陸する直前、浮揚ガスの水素に引火、大爆発を起こして墜落し、乗客・乗員の約3分の1が死亡するという惨事を引き起こし、これを機に飛行船による旅客輸送は幕を閉じた。また軍用につくられた大型飛行船も嵐(あらし)などで相次いで失われたため、その価値に疑いがもたれるようになり、その結果後継機は計画されず、飛行船の時代は1930年代で終わった。
[落合一夫]
飛行船はガス袋と骨組、推進装置、操縦装置、操縦室などから構成されるが、古くからガス袋と骨組の関係から、硬式、半硬式、軟式の三つの種類に分けられる。しかし、現在使用されている飛行船はすべて、ガス袋の形を整えるための骨組をもたず、ガスの圧力と袋の強度とのつり合いで形を保たせる軟式飛行船dirigibleで、他の型式は歴史にうずもれてしまった。
ちなみに、前記ヒンデンブルク号は硬式で、その要目は次のとおりである。全長248メートル、ガス袋最大直径41.8メートル、ガス袋容積19万立方メートル、総重量214トン、有効搭載量(燃料と乗客・郵便物の合計)84トン、エンジン最大1320馬力、巡航900馬力ディーゼル四基(ほかに予備エンジン一基を搭載)、最大速度毎時約135キロメートル、航続距離約1万4000キロメートル、乗客50人(最大70人)、乗員約50人。
また、現在の飛行船は、スカイシップ600を例にとれば要目は次のようになっている。全長59.0メートル、ガス袋最大直径15メートル、ガス袋容積6666立方メートル、総重量6.6トン、有効搭載量2.96トン、エンジン270馬力二基、最大速度毎時120キロメートル、乗客24人。
[落合一夫]
アメリカでは、豊富なヘリウムと残された飛行船の特殊技術で、第二次大戦中も潜水艦哨戒用として小型の飛行船を使用していたが、戦後はヘリコプターや電子装備、対潜兵器および潜水艦の進歩などによって廃止され、現在では世界中でもごく少数の飛行船が宣伝・広報あるいは特殊用途に使用されているにすぎない。しかし、飛行機に対してその大きさと特異な姿態、空中停止もできる遅い速度は、現代では逆に一般にアピールする率は高く、広い側面積は宣伝・広報の効果もきわめて大きいとされ、宣伝媒体として注目されている。とはいっても、ほとんど手作りのため製作に手間や時間がかかり、また飛行や係留にあたって手間がかかり、風や雪などに弱い点も昔の飛行船と変わっておらず、浮揚ガスのヘリウムも高価で容易に入手、使用することができないという悩みがある。
[落合一夫]
軽航空機の一種。ガス袋(気囊という)の中に空気より軽い気体(水素またはヘリウム)を詰めてその浮揚力によって浮上し,推進装置と操縦装置によって自由に飛行できるものをいう。気球から発達したものであるが,そのガス袋の形状は気球とは異なり,飛行に適するように流線形状をしているのがふつうである。操縦できる形で飛行した最初の飛行船は,1852年フランスのジファールHenri Giffard(1825-82)によって作られた。紡錘形のガス袋は全長44m,直径14mで,これに水素ガスを詰め,蒸気機関とプロペラの組合せで8km/hの速度が出せた。その後ガス袋に安い天然ゴム張りの木綿の布が用いられるようになって機体の大型化が進み,また小型・軽量の内燃機関の発達によって速度が増し,さらにバロネットの採用と水平舵および方向舵の改良とで操縦性が向上した。バロネットというのは,ガス袋の中に入れられた空気入りの小気囊で,低高度では空気を入れてガス袋内の圧力を保持し,高度が上がり対外気ガス圧が高まるとともに空気を排出して,柔らかい外皮で作られたガス袋そのものを船体とする軟式飛行船の形体を保持する役目をする。またバロネットを船体の前後に分けて設け,両者の空気量を調節して機体のつりあいを保つのにも使われる。
しかしながらこのような軟式飛行船では船体の形状の維持の問題から大型化には限界があり,そこで,船と同様に船体の下に竜骨(キール)をもつ飛行船も作られた。これを半硬式飛行船といい,とくにイタリアにおいて発達し,アムンゼンが北極探検(1926)に用いたノルゲ号もこの形式であった。
これらに対して,縦通材と肋材の骨組みで船体の骨格を構成し,これに外皮を張るとともにその内部にガス袋を収納して外形を保持する構造の飛行船を硬式飛行船という。97年オーストリアのシュワルツDavid Schwarzによって厚さ0.2mmのアルミニウムを張った全長48mの硬式飛行船が作られていたが,硬式飛行船の本格的な発達は,1900年にドイツのF.ツェッペリンが,彼の最初の硬式飛行船LZ1を作った以後のことである。その後H.エッケナーらの協力でドイツにおけるLZシリーズは改良を重ねていき,09年には飛行船による世界最初の航空輸送会社が設立され,第1次世界大戦では爆撃機としても用いられ,戦後もその航続性能と搭載量によって空の交通機関の花形として発展していった。
このようなドイツにおける硬式飛行船の成功に刺激され,初期には軟式飛行船や半硬式飛行船を支援していたイギリスでも,やがてLZシリーズをまねた硬式飛行船を開発し,Rシリーズとして独自の発展を遂げ,またアメリカもLZ126をドイツから輸入して,これを航空母船として用いたり,R38をイギリスから輸入して,その後大型硬式船の開発に参加するようになった。アメリカでは浮揚ガスとしては危険な水素の代りに自国でのみ産出するヘリウムを用いたのが特徴であった。
日本では1910年,山田猪三郎が作った国産初の軟式飛行船が野外飛行に成功し,その後も輸入,国産の軟式飛行船および半硬式飛行船が軍で使用されたものの,本格的な発達はみずに終わった。
公共輸送機関としての飛行船の活躍は,主として悪天候によるいくつかの事故が続いた後,37年アメリカのニュージャージー州のレークハーストで起こったLZ129(ヒンデンブルク号)の爆発炎上事故で事実上そのとどめを刺された。その後軟式飛行船がアメリカで主として対潜哨戒に使われたものの,それもやがて速度と航続距離の増した飛行機にとって代わられ,現在では主として広告,テレビ中継などに利用されているにすぎない。
→ツェッペリン飛行船
飛行船は浮力によって空中に浮揚するので,必然的にその容積が大きくなってしまう。飛行船のもつ欠点もほとんどがこのことに由来する。まず船体の表面積や断面積が大きいので,抵抗の少ない流線形を採用しても経済的な飛行速度は遅く,したがってその輸送効率(ペイロード×巡航速度÷搭載エンジン出力)は大型の飛行船で速度100km/h前後で飛行する場合のみ,他の輸送手段に勝るにすぎない。
次に,船体が大きいうえに空中に浮いているので,質量と付加質量(いっしょに動く空気の質量)がほぼ同じオーダーで大きく,このため運動が容易でない。100km/h前後の速度にふさわしい推進機では,その向きを変えるどのような手段を考案しても機体の動きは鈍重で,空中に停止したまま荷役作業を行うことなどとうていできないのである。一方,これを改善するために船体に比べてあまりにも巨大な推進機をつけたのではせっかくの省エネルギー型航空機としての特性が失われることになってしまう。また飛行高度を例えば3000m以上にも上げることは,むだに投棄するバラストを多く積み込むことになるので得策でなく,このため飛行はつねに天候に左右される。このように欠点を多くもつ飛行船ではあるが,省エネルギー,低公害という利点が見直されており,長時間飛行には向いていることから,パトロール,定点観測に近い形での運用,あるいは重量物の運搬などへの用途が模索されている。また他の航空機と組み合わせたハイブリッド航空機としての研究も開発中である。
執筆者:東 昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
気球は西南戦争時に試作され,1900年(明治33)に国産気球の浮揚に成功,日露戦争の旅順戦では偵察用に使用された。07年東京中野に気球隊設置。09年に臨時軍用気球研究会が設置され,飛行機とともに気球・飛行船の研究が開始されたが,英米独で実用化されたのに対し研究は本格化せず,30年代には世界的にも急発達した飛行機にとって代わられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…軍用機中,最も多いのは有人の飛行機で,ヘリコプターがこれに次ぐ。RPV(遠隔操縦無人機)も軍用に使用され,このほか気球,飛行船,グライダーなど,ほとんどの種類の航空機は軍用として利用されてきた。
[軍用機の分類――用途と機種]
現用の軍用機の用途と機種は,表,表(つづき)に記すように分類できる。…
…あいにくその日は,上空には期待した西風はなく,気球は意に反した方向に流されてしまい,世界最初の郵便飛行計画は失敗に終わった。 19世紀後半になって,この気球の欠陥を補うため,当時ようやく実用化された蒸気機関や電動機でプロペラを駆動する推進装置を付け,ガス袋を空気抵抗の少ない流線形にした新しい乗物――飛行船――がフランスをはじめ各国で開発された。しかし初期のものは大馬力の動力装置を積む余力がないためスピードが遅く,少し風があると航行困難になった。…
…空気より軽い軽航空機lighter‐than‐aircraftと空気より重い重航空機heavier‐than‐aircraftとに分けられる。前者は空気より軽いヘリウムや水素のガスを袋に詰めたり,あるいは袋の中の空気をバーナーなどで熱して周囲の空気より軽くすることにより,機体全体の比重を空気の比重より軽くし,浮力を利用して浮くもので,航行のための動力の有無によって飛行船と気球に分けられる。原理的には簡単で,18世紀の終りには気球による人類初の飛行が行われている。…
※「飛行船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新