岡山藩主池田家墓所(読み)おかやまはんしゅいけだけぼしょ

国指定史跡ガイド 「岡山藩主池田家墓所」の解説

おかやまはんしゅいけだけぼしょ【岡山藩主池田家墓所】


岡山県岡山市中区、備前市にある墓所。指定名称は「岡山藩主池田家墓所 附津田永忠墓(つけたりつだながただのはか)」。岡山藩主池田家墓所は、池田光政(みつまさ)が造営した和意谷(わいだに)墓所とその子の綱政(つなまさ)が造営した曹源寺の2ヵ所にある。岡山藩主光政は、菩提寺である京都妙心寺護国院が炎上したのを機に、墓所を和意谷(備前市吉永町)に移した。1667年(寛文7)、津田永忠らに墓地の造営を命じ、莫大な費用をかけて完成した。敦土山(あづちやま)の山上に点在し、亀の形をした台石の上に大きな墓碑が載った「一のお山」は祖父輝政(てるまさ)、「二のお山」は父利隆(としたか)、「三のお山」は光政など7つの「お山」で構成され、すべて儒教式の墓地となっている。踏み石2000個が並べられた2kmに及ぶ参道がある。曹源寺は岡山市中区円山にある禅寺で、2代藩主綱政が1698年(元禄11)に高祖父恒興(つねおき)と父光政の菩提を弔うために創建した、池田綱政以降の岡山藩主の菩提寺である。家臣の上坂外記らに造営を命じ、絶外(ぜつがい)和尚開山に迎えた。本堂は備前随一の規模を誇り、山を借景とした池泉回遊式庭園は絶外和尚と津田永忠合作とされる。境内に池田綱政夫妻はじめ歴代藩主とその一族の墓が並んでいる。津田永忠墓は、岡山城下を離れた和気郡和気町吉田奴久谷(ぬくだに)の山の中腹にあり、永忠と妻子の墓がある。津田永忠(1640~1707年)は藩主の補佐役として池田家墓所や閑谷(しずたに)学問所(現閑谷学校)の造営などを手がけ、藩の産業・生活の基盤造りに尽力した岡山藩士。和意谷墓所と曹源寺、津田永忠墓をひとくくりにして、1998年(平成10)に国の史跡に指定された。和意谷墓所へは、山陽自動車道備前ICから車で約15分、駐車場から徒歩約35分。曹源寺へは、JR山陽新幹線ほか岡山駅から両備バス「曹源寺」下車、徒歩約5分。津田永忠墓へは、JR山陽本線吉永駅から徒歩約40分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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