岡邦雄(読み)オカ クニオ

20世紀日本人名事典 「岡邦雄」の解説

岡 邦雄
オカ クニオ

昭和期の科学史



生年
明治23(1890)年1月15日

没年
昭和46(1971)年5月22日

出生地
山形県米沢市

別名
筆名=小山 謙吉,石原

学歴〔年〕
東京物理学校〔大正3年〕

経歴
明治38年上京町工場や郵便局に勤めながら工手学校に通い、40年東京物理学校に入り大正3年卒業。5年九州帝大工学部数学力学教室助手となり桑木彧雄教授師事。7年九大を辞めて上京、中学教師をしながら物理学、科学史の著作を手がけ、13年第一高等学校物理実験担当助教授となった。マルクス主義に傾倒して活動したため昭和7年一高を追放され、同年唯物論研究会創立に参加、機関誌「唯物論研究」や中央公論などで多彩な執筆活動を展開した。13年検挙され15年保釈出所後執筆禁止を受けたが、小山謙吉、石原純などの筆名で執筆を続け17年「現代日本文明史」シリーズの「科学史」を著した。19年戸坂潤と共に実刑3年の判決を受けたが、20年敗戦で解放された。21年日本共産党に入党(39年離党)、同年鎌倉アカデミアの教授に招かれ執筆活動を再開。唯物論の立場から科学史、技術史科学論などの論文が多く、著書に「若き石川啄木」「自然科学史」(全7巻)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡邦雄」の解説

岡邦雄 おか-くにお

1890-1971 昭和時代の科学史家。
明治23年1月15日生まれ。大正13年一高助教授となり,昭和7年共産主義活動を理由に解職される。同年戸坂潤(じゅん),三枝博音(さいぐさ-ひろと)らと唯物論研究会を設立自然弁証法および技術論の研究で知られた。戦後鎌倉アカデミアの教授をつとめる。昭和46年5月22日死去。81歳。山形県出身。東京物理学校(現東京理大)卒。筆名は小山謙吉。著作に「自然科学史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の岡邦雄の言及

【科学史】より

…また1910年代から科学啓蒙活動や科学論に対する関心が生まれ,啓蒙誌《現代之科学》が刊行(1913)されたり,田辺元の《科学概論》(1918)が現れ,22年のアインシュタインの来日によってこうした傾向は頂点を迎える。時代の展開とともにマルクス主義の分野からも強い科学への傾斜が生まれ,32年唯物論研究会の設立に伴い,岡邦雄,戸坂潤,三枝博音らの活躍は目覚ましかった。彼らの関心は当然ながら科学史(知識の歴史)にも向かった。…

【唯物論研究】より

…同年11月創刊。同会は唯物論の学問的研究団体として設立され,岡邦雄,戸坂潤ら唯物論者を中心に多彩なメンバーを結集し,毎月定期に研究会,小集会を開いて活動した。非政治的活動のため弾圧は免れ,35年ころからは唯一の進歩的研究会として知識人,学生に大きな影響を与えた。…

※「岡邦雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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