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石原純 いしはら じゅん

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美術人名辞典の解説

石原純

物理学者。東京生。東北大助教授から教授となる間「相対性原理万有引力論及び量子論の研究」により学士院恩賜賞を受賞する。また、伊藤左千夫に師事し、『アララギ』の発刊にも加わり、歌人として新短歌運動の推進者ともなった。昭和22年(1947)歿。

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デジタル大辞泉の解説

いしはら‐じゅん【石原純】

[1881~1947]理論物理学者・歌人。東京の生まれ。東北大教授。特殊相対性理論量子論を研究。著「自然科学概論」、アララギ派の歌人として歌集「靉日(あいじつ)」など。名は「あつし」とも。

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百科事典マイペディアの解説

石原純【いしはらじゅん】

物理学者,歌人。東京生れ。医学者石原忍の弟。東大を出て1914年東北大教授。万有引力論,量子論に関する業績で1917年帝国学士院恩賜賞。歌人原阿佐緒との恋愛事件から1921年東北大を退職,以後科学の啓蒙活動に専心,岩波書店で雑誌《科学》,《理化学辞典》などの編集を主宰。
→関連項目自由律

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石原純 いしはら-じゅん

1881-1947 明治-昭和時代の物理学者,歌人。
明治14年1月15日生まれ。石原忍(しのぶ)の弟。石原謙の兄。大正3年東北帝大教授となる。8年相対性理論,量子論の研究で学士院恩賜賞。10年原阿佐緒(あさお)との恋愛問題で辞職。のち岩波書店の雑誌「科学」,「理化学辞典」の編集責任者をつとめる。また歌人として新短歌運動を推進した。昭和22年1月19日死去。67歳。東京出身。東京帝大卒。
【格言など】涯なきこほりのうへを 橇(そり)ひきて馬がゆきにけり真はだかの馬が(「靉日(あいじつ)」)

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世界大百科事典 第2版の解説

いしはらじゅん【石原純】

1881‐1947(明治14‐昭和22)
じゅんは通称で,正しくはあつしという。理論物理学者,科学啓蒙家,歌人。東京の生れ。1906年東京帝国大学理論物理学科卒業。在学中長岡半太郎本多光太郎らに学び同大学院に進む。この間早稲田大学で教鞭をとる一方,雑誌《理学界》に欧米自然科学の状況を精力的に紹介した。08年陸軍砲工学校教官,11年新設の東北帝国大学に長岡の推薦で助教授として就任,12年3月から14年4月までドイツなどへ留学。この間ミュンヘンでA.ゾンマーフェルトに学び,その助手M.vonラウエと,また13年チューリヒ工科大でA.アインシュタインとも親交を結び,帰国後東北帝大教授となる。

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大辞林 第三版の解説

いしはらじゅん【石原純】

1881~1947) 物理学者・歌人。東京生まれ。名は「あつし」とも。東大卒。理論物理学の研究・啓蒙けいもうのかたわら、非定型、口語使用の「新短歌」を提唱、歌人としても活躍した。歌集「靉日あいじつ」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石原純
いしはらじゅん

[生]1881.1.15. 東京
[没]1947.1.19. 千葉
理論物理学者,歌人。 1906年東京帝国大学理科大学物理学科卒業。東北帝国大学助教授 (1911) ,ドイツとスイスに留学,A.ゾンマーフェルトに師事。東北帝国大学教授 (14) 。相対性理論と量子論について日本における先駆的研究を行い,1919年帝国学士院恩賜賞受賞。

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世界大百科事典内の石原純の言及

【石原忍】より

…東京逓信病院院長,前橋医学専門学校校長などに就いたが,戦後は静岡県河津町で開業のかたわら,近視眼予防のための仮名文字の研究を続けた。物理学者石原純は弟にあたる。【長門谷 洋治】。…

【石原純】より

…じゅんは通称で,正しくはあつしという。理論物理学者,科学啓蒙家,歌人。東京の生れ。1906年東京帝国大学理論物理学科卒業。在学中長岡半太郎,本多光太郎らに学び同大学院に進む。この間早稲田大学で教鞭をとる一方,雑誌《理学界》に欧米自然科学の状況を精力的に紹介した。08年陸軍砲工学校教官,11年新設の東北帝国大学に長岡の推薦で助教授として就任,12年3月から14年4月までドイツなどへ留学。この間ミュンヘンでA.ゾンマーフェルトに学び,その助手M.vonラウエと,また13年チューリヒ工科大でA.アインシュタインとも親交を結び,帰国後東北帝大教授となる。…

【自由律】より

…そのことから定型を破壊して自由律によろうとする動きが,大正末期からあらわれた。石原純,土田杏村らがその主導者で,口語定型を守持するものらとの論争がしばしばおこなわれた。しかし1932‐33年(昭和7‐8)ころに口語歌運動では定型派のすべてが敗退し,自由律派のみとなった。…

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